◆美術館誕生 富士山の「気」を浴び手書き文化発信
《2004年7月、富士山の麓にある山梨県忍野(おしの)村に「小池邦夫絵手紙美術館」が開館した》
尽力してくれたのは画商の中川新司さん。百貨店での美術展企画・運営に携わっていた人です。1994年に出会い、全国各地のデパートで僕の絵手紙展を開いてくれた。
鼻が利くのかな。次の時代を担う美術分野として絵手紙に目を付けたんだね。97年には、朝日新聞社に持ち掛け、当時の東急日本橋店で「小池邦夫の絵手紙展」を開催。6日間で約1万4千人も来てくれた。
美術館がほしい――。僕の夢を聞いた中川さんは人脈を生かして忍野村に構想を持ち掛け、3年がかりで完成にこぎつけた。自分の名前を冠した公設の美術館だから、うれしさは格別ですよ。場所は四季の杜おしの公園内で、建物は「岡田紅陽写真美術館」と併設。生涯をかけて富士山を撮り続けた有名な写真家と並ぶなんて願ってもないことだよね。
《20代~60代の絵手紙約370点を中心に展示している》
環境がとてもいいね。美術館周辺の赤松林の香りがたまらない。企画展示ホールから真正面に見える富士山からは「気」が伝わる。元気になってくるんだ。それに、村の代名詞ともいえる忍野八海の湧き水。水がいいと墨の色もさえる。忍野の水は清らか。だから好きなんです。
一般展示室のシンボルが「絵手紙富士」です。親友の正岡千年(せんねん)にかいた初期のはがき227点が、富士山の形に積み上げられています。あふれる思いを千年の真ん中に命中させようと必死だったな。でたらめともいえるけど、隠されている僕の魂のいろんな要素が、富士山の裾野のように広がっている気がする。
《年間5千~6千人が入場している》
特別展示室には僕のコレクションが飾られている。特に、漢代の「瓦当(がとう)」(軒瓦の先端を文様や文字でデザインした部分)のコーナーが一番好き。線がいい。心に真っすぐ届いてくる。常にそばに置いて眺め、気の高ぶりを感じ筆をとってきた。
美術館ができたことで、「ヘタでいい」という絵手紙の考え方が認知された。これがうれしい。ぜひ出かけてほしい。富士山が両手を大きく広げて迎えてくれます。
◆次回は東日本大震災の被災地と絵手紙による交流話を。
(聞き手・元新聞記者・佐藤清孝
<この記事についてアンケートにご協力ください。>