◆発祥の地 狛江をまるごと手書きの美術館に
《狛江市を絵手紙発祥の地としてPRする事業が始まり、2008年春、狛江駅前に小池さんが原画を描いた横断幕やフラッグが登場する》
「発祥の地」は僕が1981年、狛江郵便局で全国初の絵手紙教室を開いたのが由来。それにちなみ、市が絵手紙で狛江を発信する計画を、担当課長から聞いた。もろ手を挙げて賛成し、全面的に協力したよ。
盛り上げてくれたのは市外の絵手紙仲間だった。僕は最初、恥ずかしくて駅前に見に行けなかった。でも、僕の自宅や市長宛に、横断幕やフラッグの絵を添えた激励の絵手紙が続々と届いた。「設置おめでとう」「応援します」――。スケッチのためにわざわざ狛江に足を運んでくれたんだ。予想外の反響だったな。
当時、絵手紙人気は全国的に高まっていたけど、市民の間ではいまひとつだった。むしろこの事業を皮切りに、「絵手紙」が徐々に市民にも認知されていった気がする。
《狛江駅前に10年、巨大絵手紙(縦4メートル、横3メートル)が設置され、20年には2代目がお目見えした》
両方とも市の依頼でかいた。実をいうと、僕は注文の仕事は得意じゃない。自分の好きなものをかきたいようにかいてこそ相手の心に響くからね。それで、1作目は僕の好きな俑(よう)の騎馬姿の女性を描き、「動かなければ出会えない」と呼びかけた。
でも、2作目は苦労したな。市制施行50周年記念だったので、狛江のシンボル・多摩川をはじめ、五本松や翼を広げる白鷺に富士山を描いたけど、僕は写実的な風景画は苦手。妻・恭子のアドバイスで2、3回かき直してようやく仕上げた。
《20年からは、市内全域を美術館に見立てて絵手紙を展示する「まるごと美術館」事業も進んでいる》
きっかけは、僕が松原俊雄市長に贈ったたくさんの絵手紙。市長が音頭を取り、市民に公開して楽しんでもらおうと、市役所のギャラリーや地域センター、郵便局、駅などの公共施設16カ所に展示してくれた。
僕の絵手紙のマンホール(15カ所)やロードシート(50カ所)も作ってくれた。街中に散りばめられて目にする方が、絵手紙の味が出る。全国で2番目に面積が小さい市だから絵手紙に注目してくれたし、「まるごと美術館」も生かせるんだね。
◆次回は「絵手紙の日」制定や、狛江市名誉市民に選ばれた話を。
(聞き手 元新聞記者・佐藤清孝)
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