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絵手紙のひと 小池邦夫のうちあけ話(18)

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東京都狛江市

◆記念日制定 「ふみ」と読む2月3日に「福」配り
《2月3日が「絵手紙の日」になり、2010年の初の記念日に狛江市で制定セレモニーがあった》
記念日は、日本絵手紙協会の会員たちが以前から切望していた。2月3日にしたのは、「ふみ」と読む語呂合わせからだね。
この日は節分だから、「豆の代わりに絵手紙で福を配るのはどうだろう」と僕が提案した。それで絵手紙協会が日本記念日協会に申請して、2009年8月に登録されたんだ。
セレモニーは盛り上がったな。会場の狛江エコルマホールには、全国から絵手紙仲間が700人以上も駆けつけてくれた。僕は一日郵便局長として江戸時代の飛脚姿で舞台に登場した。菅笠に草鞋(わらじ)履きでね。人見知りで引っ込み思案のくせに、目立つことが結構好きなんだよ。
投函セレモニーで仲間たちが、持参した絵手紙を両手で掲げ、満席の会場を「はがきの花」で埋めた。あの光景は忘れられないな。

《会場では小池さんの講演会や、「絵手紙50年展」も開かれた》
僕は19歳から親友の正岡千年(せんねん)に手紙を書き、2010年で半世紀。この間千年宛に3万通も出した。千年がいるから書けた。行き詰っているとヒントをくれた。千年という名キャッチャーがいるから全力投球できた。だから、僕は講演会で「絵手紙にはキャッチャーが大事」と話した。
僕の手元に、額装した自分の絵手紙がある。好きな黒陶俑(こくとうよう)の絵を描き、こうつづった。「明日が楽しみ 50年そう思ってかいてきた」。銀座の鳩居堂で毎年開いてきた個展でも非売品にして、大切に保管してきた。絵手紙を始めて60年以上たつけど、思いは今も同じだよ。

《狛江市制施行50周年の2020年、映画監督の木村大作さんとともに、初の名誉市民に選ばれた》
想像もしていなかったからね。最初に市の秘書広報室長から打診を受けた時にも、「僕でいいの?」と何度も尋ねたよ。それに、木村さんは国内外で高い評価を受けているけど、僕は「手紙書き」を好き勝手に続けてきただけだからね。
でも、うれしかったから、翌年の正月、松原俊雄市長に年賀の手紙を送った。干支の牛に自分を例えた絵を添えて書いた。「よくぞワガママな牛を選んでくれました」とね。

◆次回は故郷・愛媛県松山市と終の住処(すみか)になった狛江市をめぐる話を。
(聞き手 元新聞記者・佐藤清孝)

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