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小池邦夫のうちあけ話(3)

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東京都狛江市

絵手紙のひと

◆一日一信 臨書に反発 親友への手紙に活路
《中学3年生の時にも大きな出会いがあった》
僕は無口でした。夏休みに担任の先生から届いたはがきに、「君は黙っているが、内に何かを秘めているのを私は知っている」と書かれていた。うれしかった。励まされた。手紙が人を動かす力があることを知ったきっかけでした。

《進学した高校は地元の名門・県立松山東。学友たちも驚く二つの“事件”を引き起こす》
一つは、2年生の時の「トイレ落書き事件」。当時、僕は短い言葉を書くことで人を発奮させられるんじゃないかと考えていた。そこで、放課後に級友の一人を見張り役にして、学校のトイレの白壁に家から持ってきた太筆で「質実剛健」「初志貫徹」などの言葉を墨書した。後で問題になったけど、担任で書道教師の沢田大暁(たいぎょう)先生がかばってくれたので不問に付されたようです。
もう一つは、3年生の時に〝私設応援団長〟になったこと。トイレ事件もあったから、推すやつらがいたんだね。僕は恥ずかしがり屋のくせに、実は目立ちたいという気持ちもあったんです。夏の全国高等学校野球選手権大会の予選などで、必死に音頭を取りました。その頃ですね、中学、高校と一緒で親友の正岡千年(せんねん)に「わしは、筆一本で立ちたい」と打ち明けたのは。書道は1年生の時から選択科目で学んでいました。

《東京学芸大学書道科に入学したが、大きな勘違いをしていた》
大学名に「芸」が入っているから芸術家を養成する学校だと思い込んでいたら、書道の先生になる勉強をするところだった。世間知らずというか、抜けているというか。
中国古典の臨書の授業が続き、落ち込みました。人まねですから。「俺は自分の歌をうたいたい。それには手紙だ」と気づきました。手紙なら相手は一人。実感を込めて書けます。その気持ちをわかってくれるのは、当時青山学院大学に通っていた正岡以外にはいなかった。
読んだ本、展覧会で目にした絵や書の感想、芸術論……。19歳の時から、臨書で鬱々とした気持ちを吐き出すように、最初は文字だけの手紙を毎日書きました。正岡にあてた「一日一書」の始まりです。

◆次回は正岡宛のはがきを編集した「邦夫ノート」について。
(聞き手 元新聞記者・佐藤清孝)

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