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小池邦夫のうちあけ話(4)

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東京都狛江市

絵手紙のひと

◆邦夫ノート 20代のはがきに浮かぶ焦り
《正岡千年(せんねん)さんは小池さんからのはがきをすべてとっておき、21歳~24歳の手紙を「邦夫ノート」として編集した。精神の遍歴がうかがえる》
邦夫ノートは、前妻(芙美子さん)との結婚式の引き出物として、学友らが1967年に80部作ってくれました。僕が26歳の時です。ガリ版刷りのB5版で128ページ。知人が1日6時間~10時間も「ガリ切り」をやってくれました。仲間たちの奉仕的な協力で発刊できた本です。
僕は上京して東京・湯島の伯父の家に下宿し、出口の見えない日々を送っていました。臨書の授業に嫌気がさして大学へはあまり行かず、図書館や美術館に顔を出してやるせない気持ちを正岡へのはがきにぶつけていました。邦夫ノートには「僕もヘタだが、書の中に自分を表出しようとアセッテいる」と書いた文面があります。もがいていたな。

《小池さんの下宿を訪ねた正岡さんは、洗濯バサミに吊り下げられた真っ黒な新聞紙の束を目にする》
墨で縦線、横線、渦巻線を引く練習のため、新聞紙に何度も塗り重ねました。この三つの線を練習すれば漢字も平仮名も英語やローマ字も書けるからです。活字が一番読みやすいと思っていたので、筆線の鍛錬をひたすら続けました。運動選手が肉体を鍛えるように心の筋肉をつけるためです。僕の特徴の力強く彫り込んだ線の原点になりましたね。
棟方志功さんにも魅せられ、版木を山のように買って模刻をしました。正岡へのはがきにも「棟方志功の版画文字はズバヌケテイル」と書きました。憧れだったんです。

《著名人の講演会に熱心に通った。邦夫ノートには「人物シリーズ」として、感想などをつづった100通近くの文面が収められている》
当時は毎晩のように無料の講演会があり、新聞で情報をつかんで聴きに行きました。一流の人がどんなことを考え、どういうことを目指しているかをつかみたかった。作家、評論家、画家、学者、禅僧、漫才師、オペラ歌手……。いろんな人から学んだことを血肉にして、話のエキスを正岡に伝えたかったんです。
邦夫ノートは粗削りでも絵手紙作家への最初の一滴になりました。

◆次回から2回に分けて、僕に大きな影響を与えた2人の生涯の師についてお話します。
(聞き手 元新聞記者・佐藤清孝)

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