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絵手紙のひと 小池邦夫のうちあけ話(6)

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東京都狛江市

◆師(下)中川一政 心酔、「我を学ぶ者は死す」で決別
僕が師と仰いだもう一人は、洋画家の中川一政さん(1893~1991)です。絵よりも随筆の洒しゃ脱だつな文章に惹かれていました。
東京学芸大学の後輩で友人の清水義光君(79)に中川さんのことを話すと興味を持ち、2人で杉並区永福町の自宅を訪ねました。すぐには入れてもらえず、3時間ほど待っていたら奥さんが「まだいたの? そんなに熱心なら」と、会うことができました。1967年。瀧井孝作さんとの出会いから1年後でした。

《独学で道を切り開いた中川さんに心酔した》
アトリエがある真鶴町(神奈川県)と永福町に、月1~2回通いましたね。ゴッホやセザンヌの絵を見せてくれました。清水君が話をして僕は聞き役。つまらない質問をするとプイと横を向く。怖かったな。
絵はどうやったら描けますか?――。僕がこう尋ねたら、「よく見ること」「ゆっくり描け」「たった一つを描け」と。そして「はがきに描いてごらん」と言われました。それならできそうだと、僕もその日から絵を描き出しました。その後の「絵手紙」につながっていきます。
中川さんにのめり込み、装丁した単行本から個展のポスターまで集めました。向田邦子さんの「あ・うん」の装丁。あれは素晴らしい。中川さんも気に入っていたね。
歩き方や話し方まで似てきた僕にある日、中川さんが言いました。「我を学ぶ者は死す」。ハッと我に返りました。このままでは、「亜流・中川」で終わる。12年間学んだ師から離れる決心をしました。

《中川さんの死後、オークションで手に入れた書の掛け軸「老驥伏櫪志千里(ろうき れきにふすとも こころざし せんりに あり)」を仕事部屋に飾っている》
中川さんは自由奔放ないい字を書くんですよ。清水君と「もっと本格的に書いたらどうですか」と勧めたら書家として燃えたね。7年ぐらいで、銀座で個展を開くんだ。
「老驥……」は最晩年の96歳の作。年老いてもなお高い志をもち続けるたとえで、中川さんの心情がにじみ出ています。「老」の3画目の横棒は途中から書き直しているんです。常識に縛られていない。一日一日を積み上げて、書の「自分新記録」を延ばしていった人。だから晩年ほど字がよくなっているんだね。
僕も80歳になって、やっと芽が出始めたと思っています。

◆次回は書家を目指すため、あえて大学を退学する話をします。
(聞き手 元新聞記者・佐藤清孝)

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