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今はむかし その三五一

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東京都狛江市

◆狛江駅北口の開発
昭和57年に、小田急線の連続立体化工事の完成後を前提に狛江市のほぼ中央にある狛江駅前を交通、文化、商業の中心に位置付けようと狛江駅北口駅前の再開発計画が立てられた。さまざまな意見はあったが、東京航空計器の工場が町田市に移転し、用地の一部を取得できたこともあって、その第一段階として狛江駅前にあった狛江第一小学校を東京航空計器の跡地に移転することから始まった。
狛江第一小学校の移転は狛江駅前再開発に伴うもので、昭和62年に行われ、移転に際しては保護者と学校側との話し合いの中から給食搬入門の門柱(元正門)、二宮尊徳像、創立百周年記念碑を移設した。また、校庭を広く取るためプールを校舎の屋上に設置し、その水は近隣の消防用水として利用した(正門脇に採水口がある)。その他、体育館や給食棟などの屋上に降った雨水は下足室の下に貯水してトイレの洗浄水や校庭の散水に利用し、校庭には雨水浸透升を設けることで学校全体が雨水利用施設となっている。
第二段階は旧校地の遺跡調査だった。太平洋戦争中防空壕を掘っていた時、土器の破片が出たという話があったので、昭和48年の夏休みに校庭の一部を調査したら、縄文時代の住居跡3基と古墳時代の住居跡3基が出たが、夏休みも終わりに近づいたので埋め戻さなければならなかったという経緯もあった。
そこで旧校地全体を掘り起こしたら旧石器時代と思われるものから平安時代のものまでそれぞれの遺跡が発掘された。中でも縄文時代の柄鏡式住居跡は貴重なので後世に残そうと上部に砂を、その上に土を被せていつでも掘り返せば原型を見られるようにしたが、その上を道路にしてバスやトラックが通れば潰されてしまう恐れがあったため、そこを交通島にし、時計塔を建てて保護することにした。
六郷さくら通りは六郷用水の跡を拡幅整備したもので、用水はエコルマ3の所からエコルマ2にかけて流れていたが、駅前広場の外周道路と直角に結び付け、駅方向にも行けるようにするため、やや西に曲げ早春コブシの花咲く三角地ができた。
その先に駄倉橋、アーチ型のレンガ橋をくぐるとエコルマ2で、そのすぐ下に洗い場があった。そのため六郷用水を埋め立てる前は、歩道はいったん下って、再び上らなければならなかった。その先が狛江通りで、そこに北谷橋が架かっていた。
駅前広場の最初の計画では一団の樹林地をつぶして整備する予定だったが、市民の強い要望で樹林地を残すために昭和62年8月「緑地保全地区」の指定を受け、現在の形態になった。駅前広場のどこからでも美しく見える緑の木立が残り、自然豊かな散歩道ができた。

井上 孝(元狛江市文化財専門委員)

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