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今はむかし その三五ニ

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東京都狛江市

◆昭和33年 狛江の情景 校歌の思い出
昭和33年、狛江町の人口は1万7175人。まだ田畑ばかりの農村地帯だった。この年、狛江第一小学校、狛江第二小学校、狛江第三小学校の校歌が制定され、同じ頃に制定された狛江中学校(現狛江第一中学校)の校歌と併せて、4校の校歌から見た当時の狛江の情景はどんなものだっただろうか。
歌詞を眺めてみると、「多摩のながれにたつ霧を こえてはるかにひかる富士 清いこころのみなもとの 光をうけて学ぶとき(一小)」「狛江の森にかぎりなく ひびきゆたかにわく泉 強いからだのみなもとの ひびきをきいて育つとき(一小)」
「広くゆたかな武蔵野の 天(そら)の光がみんなをつつむ 励みあい喜びあって 清く明るい心を育ててゆく(二小)」「広くゆたかな武蔵野の 土の息ぶきがみんなをつつむ 鍛えあいいたわり合って 強く健(すこ)やかなからだを育ててゆく(二小)」
「泉の流れがめぐってる 庭にきこえるせせらぎが 健やかに明るく育てといっている(三小)」「常盤(ときわ)の緑がそびえてる 窓に聞こえる松風が たくましくただしく育てといっている(三小)」
佐藤佐太郎さんが3校の校歌を同時に作詞したので3校とも重なる表現がなく、狛江の風景をよく表しながら日頃の学校生活に結び付けている。
また、色合いも青や緑など落ちついた色と水と植物が多く、人前に姿を現わさない動物は出てこない。校歌は美しい故郷の姿と日頃の学校生活を凝縮したものと言えよう。
狛江中学校の校歌にも「町の空あかるく晴れて 多摩川の流れゆたかに 野のみどり風ひろびろと 富士のみねはるかに高し」等の言葉が当時の風景をよく表していて、それに続けて「稲穂はみのる友情の 伸びゆくちからはげまして 常にたのしくまなぶべし」と、日頃の学校生活と結び付けながら入学式、卒業式、運動会、学芸会など儀式や行事等さまざまな機会に歌っては思い出を胸に卒業していく。
卒業して故郷を離れても故郷の美しい眺めは消え去ることはない。やがて老境を迎えた時は幼き頃の思い出として瞼(まぶた)に蘇(よみがえ)ってくる。ここに校歌の良さがある。令和の今はすっかり変わってしまった風景にも所々にかつての狛江の面影が残っている。この美しさを、心に残る思い出にして今後も歌い続けていこう。

(お尋ねします)現在どこを探しても太平洋戦争中の「狛江国民学校の校歌」の歌詞が見つかりません。終戦の時処分したと思われますので、公(おおやけ)の場からは見つかりませんが、入学式や卒業式、運動会、学芸会の案内状等に出ているかもしれません。もしありましたら市役所秘書広報室にご連絡ください。
井上 孝(元狛江市文化財専門委員)

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