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今はむかし その三五六

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東京都狛江市

◆昭和32年の狛江町
太平洋戦争直後の物不足や制度改革がまだ落ち着かない頃のことである。狛江町の面積6.31平方キロメートル、人口1万7924人、世帯数4446、人口密度1平方キロメートル当たり2840人、役場職員45人、出生754人、死亡205人、専業農家143戸、兼業農家235戸。土地利用では、水稲植付面積6677畝、陸稲植付面積3936畝、米作農家329戸、構成人員(31年)2608人(陸稲を含む)とある。配給制だったから収穫した米は政府に売り渡さなければならなかったが、農家が多く、乳牛55頭、馬1頭、ヤギ3頭、豚90頭、鶏2219羽も飼われていた。
米屋は町で6軒、世帯ごとに米穀通帳を米屋に登録し、1人ごとに1日当たり決まった量の配給を受けた。都合があって外食する者は外食券が必要だった。
小学校は2校、中学校は1校、この秋第三小学校が開校した。
町で初めて公民館ができたのもこの年の6月である。元村役場の古い建物を改造してホール1室と和室1室しかなかったが、青年学級や婦人学級が盛んに行われるようになった。
図書館もなかったから毎月1回自動車に本を積んで、移動図書館が町役場にやってきた。
自転車税・荷車税というのもあったし、犬を飼えば犬税がかかる。たばこ税は町の大きな収入だった。
この他、町の様子を眺めると、敬老会は狛江婦人会が主催、亀塚碑の除幕、和泉多摩川では花火大会もやっている。小河内ダムが完成したのもこの年である。失業対策事業というのもあって、就労日数316日、延べ人員9620人が道路工事など公共事業に従事していた。
昭和28・29・30年と連続して東京都代表になり全国大会に出場した狛江中学校4Hクラブ(農業青年クラブ)の旺盛な研究心に、31年には町役場が農業の副業としてシイタケ栽培をする時、どのようにしたら良いかの研究を依頼した。その1年間の研究成果を記した研究報告書もこの年3月に町役場に届けられた。
調布市と合併するか世田谷区に編入するかもこの年の大きな問題だった。昭和28年9月に公布された町村合併促進法によって翌年3月に東京都行政部から調布・神代・狛江の3町が合併するよう勧告が出たが、地域的に世田谷区に編入した方が良いという意見が議会にも町民の中にも多くあり、調布合併か世田谷区編入かで争うことになった。
争いは署名運動、街頭宣伝、ビラ配りが繰り返され、議会の解散や町長のリコールにまで発展し、その結果議会は解散し、翌33年町長は辞職した。
調布町と神代町はすでに合併していたので、後任町長はこの問題に触れることなく狛江町単独の町制を貫いた。
井上 孝(元狛江市文化財専門委員)

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