◆開校余話
◇市民が構想提案行政と協働で推進
狛江市の三つの小学校で教諭を務めた小島美津子さん(73)には、四半世紀たった今も忘れられない光景がある。
1999年6月の「冒険林(ぼうけんばやし)体験学習」。狛江第八小学校で担任をしていた4年2組の児童二十数人と、冒険林と呼ぶ小さな森の一帯に野外授業では初めて訪れた。現在の「狛江水辺の楽校(がっこう)」だ。
タチヤナギやオニグルミの林の中を湧き水が流れていた。「池でオニヤンマのヤゴやウシガエルを見つけ、歓声を上げていた子どもたちの生き生きした表情が目に焼き付いています」
冒険林を案内したのは竹本久志さん(72)。冒険林周辺を「ほたる村」と呼び、市民ボランティアを募って湧き水の清掃活動や昆虫などの観察会を催していた。
八小の観察会は、2002年度から小中学校で実施される「総合的な学習の時間」の先駆けになった。小島さんは市内の小学校の教職員研修会で「ほたる村」の活用を呼びかけ、他校との学習交流も広がった。
一方、竹本さんは水辺の楽校の開校に向けて活動を進めていた。地元に住む環境運動家の元大学教授・横山十四男(としお)さんの依頼で98年2月、楽校の市民プランを作成。国の認可を受けるには市に事務局を置く必要があり、横山さんと市教育委員会や環境部に何度も足を運び、開校への協力を求めたが、「色よい返事はなかった」(竹本さん)。
事態が動き出したのは99年4月。市環境改善課(現・環境政策課)の課長に野口昌男さん(82)が赴任したのがきっかけだ。竹本さんらの要請を受けた野口さんは「行政と市民の協働で進めていきたい」と9月、当時の矢野裕市長に報告。00年4月、市民や学校の教師、PTAなどで推進協議会を発足させた。小島さんもメンバーとして加わり、整備や利用のルールを検討する会合を重ねた。
この間、野口さんらはエリア内のホームレスや河原を走り回るモトクロス族などの対策にも取り組み、粘り強く交渉した結果、姿を消した。
水辺の楽校は01年1月に国の認可を受け、4月に開校。小中学生を中心に利用者が増え、08年には年間6千人を超えた。
小島さんは、退職後に住む新潟市から、水辺の楽校にエールを送る。
「〝森のシャワー〟を浴びて子どもたちはどんどん元気になった。市民主体で自然環境を守り、楽校の運営を支えている人たちに感謝したい」
佐藤清孝(元新聞記者)
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