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絵手紙のひと 小池邦夫のうちあけ話(23)

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東京都狛江市

◆夫婦愛妻へ送った2万枚の〝ラブレター〟
《2002年夏から、妻・恭子さん宛に毎日欠かさず絵手紙をかくようになった》
僕が61歳の時、軽い脳梗塞(こうそく)で入院したことがきっかけ。通信講座の生徒からの絵手紙を病床で読んでいたら、家族には出したことがなかったな、と恭子の姿が頭に浮かんだ。
退院後、恭子に送った最初の絵手紙は7月7日付。画仙紙に鯉の絵を大きく描いた。鯉が好きなんですよ。だって僕は「コイケ」だから(笑)。
絵手紙は今日の命の「溢れがき」。書も絵も「一発一気一息でやってのけたい」とひたすらかき続けた。
結婚記念日や誕生日などには、恭子にねぎらいの手紙も送りました。母の日には「食事も原稿も何もかも……365日ご苦労さま」。大みそかには「もう一度、今年も有難う」。
絵手紙は封筒に5、6枚、平均すると3枚を入れ、帰宅前に自宅のポストに投函。翌朝、恭子が受け取る日々でした。

《18年間続けてきた恭子さんへの絵手紙の筆が止まる》
2020年7月に胃がんが見つかって入院。個室に筆や硯などを持ち込んで最初の10日間はかいていたんです。でも、抗がん剤治療で筆を持つのがつらくなってね。
当時は新型コロナウイルスの感染防止のため、面会謝絶。不安が増す中、恭子が僕を励まそうと絵手紙を送ってくれた。季節の桃や自宅近くの公園の池で見つけた蓮の花の絵が描かれていた。やさしさにグッときたね。3週間後に退院。再び仕事場に通えるようになりました。

《絵手紙は夫婦円満の秘訣》
恭子からの返事はほとんどない。その代わり、気に入った絵手紙を自宅のあちこちの壁に飾ったり、「これ、よかったね」と言ってくれたり。ごくたまに、ファクスで感想を送ってくれたこともあったな。
恭子には頼りっぱなしです。闘病を支えてくれるだけでなく、取材依頼への対応、講演会で何を話すか、何を着ていくか……。何かにつけて相談してきました。ケンカをした時も、僕が絵手紙で謝ります。
恭子への絵手紙は僕の体調悪化で23年1月19日付が最後に。約20年間で2万枚以上になった手紙の山は、恭子という受け手がいたからこそ続いた〝ラブレター〟だったんだね。

◆次回は最終回。僕の夢などについてお話します。
(聞き手 元新聞記者・佐藤清孝)

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