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小池邦夫のうちあけ話(番外編)

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東京都狛江市

◆編集後記 あなたは絵手紙の「花神」でした
2023年9月1日。自宅で携帯電話の着信音が鳴った。小池邦夫さんの妻・恭子さんからのショートメール。文面に目を疑った。
「8月31日に小池邦夫が亡くなりました。穏やかに眠るように逝きました」
言葉を失い、茫然とした。20年夏から、がんとの闘病が続き、8月半ばから体調が悪化していることは恭子さんから聞いていた。だが、この連載のインタビューで10日ほど前にお会いしたばかりだったのだ。
1年間の連載に必要なインタビュー自体は、ほぼ終わっていた。が、紙面を最後まで見届けることなく「絵手紙の創始者」は旅立った。

「ヘタでいい、ヘタがいい」。小池さんは狛江市を拠点に、この合言葉で絵手紙普及運動の最前線に立ち、文化にまで高めた。とはいえ、季刊「銀花」に6万枚の絵手紙をかく30代半ばまで、ほぼ無名。進学塾講師のアルバイトを辞め、筆一本で立つのは50歳になってからだ。
小池邦夫は、いかにして「小池邦夫」になったのか――。かつて多くの取材を通して絆を深めた元新聞記者として、闘病中なのを承知しながらも、苦難に満ちた半生を市民に紹介する使命感に突き動かされた。
「広報こまえ」で連載が決まったことを告げると、小池さんは「よくこんな企画が通ったね」と相好を崩した。毎回2時間前後の自宅でのインタビューは、至福の時だった。

「小池から預かっていました」。通夜から間もなく、恭子さんから小さな額に入った書を手渡された。
「たった一人の革命」
小池さんが、和紙のはがきに薄い墨でつづり、贈ってくれた遺品だ。不器用さを逆手にとってひたすら書画と格闘し、絵手紙の世界を切り開いてきた人の矜持を感じた。
ふと司馬遼太郎さんの長編小説「花神」が浮かんだ。近代兵制の創始者・村田蔵六こと大村益次郎の波乱の生涯を描いた名作だ。花神とは中国のことばで「花咲爺(はなさかじじい)」のこと。維新期に大村が日本全土に“革命の花”を咲かせたように、小池さんは「絵手紙の花神」になった。乾き疲れた心に種をまき、全国津々浦々を絵手紙という花で癒した。
「絵手紙文化を百年残す!」
小池さん。あなたの夢は、教えを受けた人たちや全国の絵手紙ファンが引き継いでいきますよ。
佐藤清孝(元新聞記者)

「小池邦夫のうちあけ話」をご愛読いただき、ありがとうございました。次回から新たな連載が始まります。

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