◆消防団員たち
◇苦闘の6日間 必死の水防作業
1974年9月1日午後3時25分、狛江市消防団に市長から全団(7分団、108人)出動の要請があった。台風による大雨で多摩川が増水。激流となって猪方地区に襲いかかろうとしていた。
猪方地区の担当は第3分団の15人。市外にいた小川正道さん(77)と谷田部正一さん(77)はテレビのニュースなどで慌てて帰宅し、現場に駆け付けた。壊れた小堤防から流入する濁流が、不気味な音をたてて本堤防に押し寄せていた。
団員らは流れを弱めるため、木の枝に土のうを結び付けて川に投げ込む「木流し工法」に取り組んだが、「激流にのみ込まれ、何の効果もなかった」と小川さん。
消防や自衛隊も、土のう積みなどで必死の水防作業を進めるが、土の堤防が激流に洗われ根元からえぐり取られていく。決壊が始まり、茶色の水が民家に迫っていた。2日未明、団員らの目の前で住宅が次々に流出する無残な光景を「見ているしかなかった。つらかったな」。谷田部さんは悔しそうに話す。
流れを変えるため、2日から、堤防決壊の原因の二ケ領宿河原堰を爆破する一方、小堤防の仮締め切り工事に着手。
第7分団長の髙木光さん(87)は1回目の自衛隊による爆破作業前、周辺の住宅街をポンプ車で回り、マイクで安全を呼びかけた。が、流れを変える効果はなく失敗。「拍子抜けした」。結局、4日夜の6回目の爆破で、ようやく堰から水が真っすぐ流れるように。第8分団の間鍋伸一さん(80)は2日昼、仲間と立ち入り禁止区域の警戒にあたった。土手際に建つ住宅が流失する前、母子が家財道具を持ち出しに来た。「少しの時間なら」と目をつぶった。「本来なら断るべきだけど、できなかったね」
6日に締め切り工事が完了。蛇行を続けていた濁流が止まり、消防団も全団解散に。幼稚園の庭に張ったテントで雑魚寝をしながら、洗堀(せんくつ)防止のため石を詰めた「蛇かご」などを設置。つらい作業に耐えてきた小川さんたちは「ヘトヘトだった」と振り返る。「半世紀たっても、あの水害の恐ろしさは忘れられない」
佐藤清孝(元新聞記者)
◇小川正道さん
多摩川には支流がたくさんあります。上流で大雨が降れば多摩川に流れ込みます。護岸工事が進んでいるから少しは安心だけど、50年前のような豪雨だと心配です。市民の方々に言いたいのは、市が発行しているハザードマップの活用です。どこに自分が避難すべきか、日ごろから目を通しておくのが大事です。災害時にパニックにならないようにするためにも、心掛けておくべきだと思います。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>