◆受け継ぐバトン 教訓後世に
◇決壊の碑
「50年前、この辺りにあった遊具が傾いて、濁流に消えていきました」
梅雨明け前の7月7日。狛江市の多摩川河川敷にある「多摩川決壊の碑」の周りに集まった約20人に、元市職員の山口昭二さん(74)が多摩川水害の体験を語り始めた。
山口さんは企画広報課広報係だった1974年9月、多摩川水害に遭遇した。あれから半世紀。自分の経験を伝え、市民に水害を記憶にとどめてほしい─。山口さんの熱い思いを知った市が、多摩川を舞台に環境学習などの活動をしている「狛江水辺の楽校(がっこう)」に呼びかけ、講話が実現した。
この日は、オイカワの産卵床づくりなどに加わった小中学生らも、碑の前に集合。山口さんの話に耳を傾けた。
碑は国と市が設置。99年3月、改築された二ケ領宿河原堰の竣工式に合わせて除幕された。三角錐すいのステンレス製で、碑文には「水害の恐ろしさを後世に伝える」と記されている。
水害が起きた9月1日は「防災の日」。台風による天候不順で防災訓練が中止になり、山口さんは増水している多摩川の写真を撮ろうと、自転車で「五本松」付近の堤防から下流に向かった。
「川幅いっぱいに茶色の濁流が音をたてて押し寄せ、水しぶきが飛んでくるような感じでした」
小堤防が崩れ、河川敷の遊具が濁流にのまれる様子を撮影した連続写真は、国の調査技術委員会報告書に生かされた。
2日からは、水害対策本部長の市長に張り付き、小堤防の仮締め切り工事や洗掘(せんくつ)防止活動、電気、ガス、電話の復旧作業などを写真に記録した。
3日までに19棟の家屋が流失。「家が川に浮く光景を初めて見ました」と振り返る。自衛隊による堰の爆破作業時は木造の旧市役所庁舎にいた。
「窓ガラスがビリビリと震え、経験したことのないすごい音がしました」
恐怖も体験した。堤防から作業現場の状況を見ていた時に、足元のコンクリートの階段が崩れて濁流に消えた。「ぞっとして足がすくみました」
20分の講話を山口さんはこう締めくくった。「災害はいつやってくるかわからない。気をつけて多摩川で遊んでください」。
話を聴いた狛江第六小学校3年の五十嵐健(たける)さん(9)は「家も簡単に流されちゃうんだ。水は役に立つけど怖いと思った」と感想を寄せた。
碑は傷みも目立ち、9月1日までに2代目がお目見えする。50年目の節目にバトンを受け継ぎ、堤防が決壊した水害を忘れないで、と訴え続ける。
佐藤清孝(元新聞記者)
◇「50年目の伝言」は今回で終了。次回から「狛江水辺の楽校」をめぐる連載が始まります。
◇山口昭二さん
都市の災害対策は強固ですが、万全ではありません。いつ、何があってもおかしくないのです。日頃から避難場所の確認や避難経路、災害の状況によってはいくつかの避難方法も検討しておくことが大切です。避難所での最小限の食糧や生活必需品、非常持ち出し袋の中身の見直しとともに、避難のイメージトレーニングも役に立ちます。50年前に多摩川で水害があったことを頭の片隅に置いてください。
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