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東京ヤクルトスワローズ・投手 清水 昇 インタビュー

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東京都足立区 クリエイティブ・コモンズ

■挫折があったからこそ、今がある。

清水 昇(しみず のぼる)(27歳)
1996年生まれ、足立区立江北小学校出身。駿台学園中学校では、3年夏の全国中学校軟式野球大会でベスト8。帝京高校では1年秋からエースとなり、3年夏の東東京大会で決勝に進出するも、二松学舎大学附属高校に敗れ、甲子園出場を逃す。國學院大學では2年春からエースを任され、2018年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受ける。2020年・2021年にセ・リーグで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。2021年は日本記録を更新するシーズン50ホールドを記録し、チーム6年ぶりのリーグ優勝、20年ぶりの日本一に貢献した。
180センチメートル、84キログラム、右投げ左打ち、投手。

◇父を追って野球の世界へ
父親が草野球をやっていたんです。そこによくついて行っていたのが野球を始めたきっかけですね。自分も野球をやってみたくなって、小学1年生の夏に区内の少年野球チーム「ジュニアヤンガース」に入りました。当時からずっとピッチャーをしています。

◇足立区が一番落ち着きます
今も両親が区内に住んでいるので、シーズンが終わるといつも報告しに帰っています。僕は18年くらいしか足立区に住んでいませんでしたが、生まれたまちですし帰りたいと思う場所です。
ボクシングで東京2020オリンピックに出場した森脇唯人(もりわきゆいと)選手とは小学校の同級生で、よく一緒にいるメンバーの1人でした。僕が駿台学園中学校に進学したこともあって、高校受験のときに彼から、駿台学園高校(駿台学園中学校と一貫校)について相談を受けました。そのときは「ボクシングをやるには、いい学校だと思う」と答えました。僕は中学生のときに生徒会長を務めていたので、森脇選手から「高校の面接で清水の名前を使わせてもらったよ」と言われました(笑)。彼が駿台学園高校に、僕が帝京高校に進学して入れ違いになってしまってからは、しばらく会えてないな。機会があれば、対談とかしてみたいですね。

◇続けられたのは「褒められた」から
子どものころは、進んでプロ野球の試合を見るタイプではありませんでした。アニメやドラマを見る方が楽しくて、試合が長引いて好きな番組が見られないのが嫌でしたね(笑)。でも自分がプレーするのは好きで、当時は野球漬けの毎日でした。とはいえ、練習に行くのが憂鬱(ゆううつ)な日もありました。野球は好きだけど、きつい練習はしたくないな、とか。そういう気持ちのときでも、僕のまわりの大人たちは「三振取れて、すごいじゃん!」とか、褒めて気持ちを盛り上げてくれることが多かったんです。僕の場合は、そういう言葉を原動力に野球を続けられたからこそ、今があるんだと思います。褒められてうれしくない人はいないと思うんです。ちゃんとやったときは、ちゃんと褒めてあげる。プロになった今、僕が子どもたちに教えるときのスタンスに繋(つな)がっています。

◇夢の舞台は「甲子園」から「プロ野球」へ
中学生のとき、全国大会の帰りに監督が「甲子園を見てから帰るか」と言ってくれて、初めて生で見たのが2011年の日本大学第三高校(西東京)と光星学院高校(現・八戸学院光星高校)(青森)の決勝戦でした。結果は、日本大学第三高校が優勝。甲子園で地元東京代表の高校が全国優勝したというのが、僕の中ですごく大きかったんです。「中学校の全国大会に出場できたんだから、甲子園にだって行けるはず」。そのときから甲子園の舞台に立ちたいと、強く思うようになりました。
当時は「甲子園出場」以上のことを考えられなくて、高校を卒業したら野球を辞めてスポーツトレーナーなど、違う道に進もうと思ったこともありました。でも、夢だった甲子園には行くことができなかったんです。だから、そこで燃え尽きることができなくて。本気でプロに行きたいと思ったのはそのときです。「甲子園に出場した選手に勝ちたい」という気持ちもあって、両親に「どうしても野球を続けたい」と伝えました。
高校3年生の夏、甲子園に出場できていたら、もしかしたら今の自分はなかったかもしれないですね。挫折は必ずしもマイナスにはならないですし、何かのきっかけになることもあります。僕の場合、この挫折があったからこそ、「野球でもっと活躍したい」と、目標を新たにすることができました。

◇先輩の言葉があったから強くなれた
プロ1年目は思ったような結果を出せず、焦りだけが募っていました。今思い返すと、プロに入ったことで満足してしまった自分がいたのかもしれません。でもそんなとき、チームの先輩の石川雅規(いしかわまさのり)さん、石山泰稚(いしやまたいち)さんのお2人が特に気にかけてくれたんです。石川さんからは、「ケガをしない限りいくらでも練習できる。練習できなければ強くなれないし、試合にも出られない。試合に出なければバッターに打たれることはないけど、その代わり成績を残すこともできない」と言われました。今もすごく覚えています。ケガをしてしまったら自分の実力を見せるチャンスすらもらえない。1年目のシーズンが終わった秋からは、この言葉を心にとめて、ケガをしない体をつくるために死に物狂いで練習しました。

◇2024年、さらなる飛躍を誓う
2年目の2020年は、「投げられるならどのポジションでもやる」という気持ちで挑んだ結果、セットアッパー(チームがリードまたは接戦の試合終盤で登板し、クローザーにつなぐ中継ぎ投手のこと)を任されるようになり、翌2021年にはシーズン50ホールド(中継ぎ投手を評価する指標の1つで、チームがリードした状態で降板した際などに記録される)で日本記録を更新して「最優秀中継ぎ投手」のタイトルを獲得できました。決して自分の力だけでは成しえませんでした。支えていただいた周囲の方々に、本当に感謝しています。今後はクローザー(チームがリードしている試合の最終局面に登板し、勝利で締めくくる抑えの投手のこと)などいろんなポジションで投げたいですし、またタイトルを獲りたいです。そして自分の活躍でチームが優勝できるよう、2024年シーズンも全力投球していきます。

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くわしくは本紙12面へ

問い合わせ先:広報係
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