【3】開削による住民の苦難
新たな放水路の開削にあたって、約1,300世帯もの住民が居住地の移転を余儀なくされ、ほかにも、商店や神社・仏閣などもその対象になりました。次記で、開削当時の足立区でのエピソードや今も残る文化財を紹介します。
◇国登録有形文化財「冨澤(とみざわ)家住宅主屋(柳原1丁目21番25号)」
立ち退きのため、小谷野村(現葛飾区堀切付近)から移築された建物で、令和6年3月6日付で国登録有形文化財に登録されました。
※個人宅のため敷地内は非公開
◇土地への愛が込められた「感旧碑(かんきゅうひ)」
先祖代々受け継がれてきた土地を用地買収によって離れることになった鈴木與吉(すずきよきち)さんが、大正5年に元宿神社の境内(千住元町33の4)に建てた碑。土地を去ることになった経緯と、「故地」に対する「愛慕の情」が刻まれています。
◇学区域の変更と小学校の開校
・千住町
かつては現在の区役所辺りまでが千住町の範囲でしたが、開削後は南北に分かれました。分断された北側の土地も従来は千寿第三尋常小学校の学区域でしたが、開削により通学が困難に。そのため、大正14年、新たに千寿第五尋常小学校が開校しました。放水路の北側で名前に「千寿」が入っていたのはこの学校だけです。
・綾瀬村
弘道小学校は放水路の北に位置しているものの、放水路の南側から通わなければならない児童がいました。通学には約3キロメートル迂回するか、放水路を舟で渡るかの2択だったため、大正15年から昭和10年の間、南側に弘道小学校の分校が、現在の総合ボランティアセンター(日ノ出町27の3の102)付近に設置されました。
◆10月31日(木)まで3駅でパネル展を実施中!
駅開業100周年を記念して、区と東武鉄道株式会社の共催で、駅や地域の歴史を振り返る展示を行っています。
場所:小菅駅、五反野駅、梅島駅改札内コンコース
※改札内への入場には、乗車券類や入場券の購入が必要
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