平成19年度にチームで褒賞を受賞!
INAC(アイナック)神戸レオネッサ所属
サッカー日本女子代表・GK(ゴールキーパー)
山下 杏也加(やました あやか)選手(28歳)
YAMASHITA Ayaka
▽プロフィール
平成7年生まれ、足立区立青井小学校・青井中学校出身。小学2年生のときにKSC加平サッカースポーツ少年団でフォワードとしてサッカーを始める。その後、東加平キッカーズ女子を経て、中学進学と同時に足立LFCに入団。村田女子高等学校(現・広尾学園小石川高等学校)時代にゴールキーパーに転向。平成26年に日テレ・東京ヴェルディベレーザに入団し、同年3月のなでしこリーグ開幕戦でリーグ初出場。平成27年から令和元年にリーグ・ベストイレブンを受賞。令和3年にINAC神戸レオネッサに移籍。同年に発足した日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)では初代最優秀選手賞を受賞。平成27年になでしこジャパンに初選出され、令和5年のFIFA女子ワールドカップでは日本のベスト8進出に大きく貢献した。
◆夢や目標に向けて頑張ってほしい
小学6年生のときに東京都の大会で準優勝して、教育委員会褒賞をいただきました。うれしい気持ちはもちろんありましたが、それ以上に当時は目立つことが苦手で、名前を呼ばれてトロフィーをもらいに行くのがすごく恥ずかしかったです(苦笑)。
今回受賞された皆さんのことはすごく尊敬しています。何かに向かって努力された結果ですし、その経験を次の夢や目標に生かして、これからも頑張ってほしいです。
◆フォワードから始まったサッカー人生
兄の影響で、小学2年生のときにサッカーを始めました。最初は「KSC加平サッカースポーツ少年団」で男子と一緒にプレーして、小学5年生で「東加平キッカーズ女子」に入団しました。点を取って褒められたいという思いがあり、前線でずっとゴールを狙っていたので、ポジションは自然とフォワードでした。
当時はサッカーを楽しむことしか考えていなかったですね。中学生のときに都内のリーグ戦で優勝したんですが、「優勝をめざしていた」というよりは「楽しくプレーしていたらいつの間にか優勝していた」という感じです。
◆「負けず嫌い精神」で葛藤を払拭
小学生・中学生のときはずっとスタメン(試合のスターティングメンバー)で楽しくプレーしていました。でも、高校に進学してがらりと変わりました。同じポジションにすごく上手(うま)い選手がいて、初めて「試合に出られない」という経験をしたんです。
そんなときに監督から「ゴールキーパーをやってみないか」と、話を持ちかけられました。
最初はゴールキーパーというポジションにすごく抵抗がありました。点を取って褒められるポジションではないですし、なかなか前向きになれなかったんです。でも、「スーパー少女プロジェクト(現在の「女子GKキャンプ」。公益財団法人日本サッカー協会主催で、将来のなでしこジャパンのゴールキーパーを発掘・育成するプロジェクトのこと)」に高校2年生で初めて選出されたときに意識が変わりました。全国から選ばれた中学・高校生のゴールキーパーが招集されて、その中に自分より小柄ながらも技術のある選手がいたんです。「この人にできるなら自分にもできるんじゃないか」って、そこで私の「負けず嫌い精神」のスイッチが入りました(笑)。
また、誰にでも挫折はつきものですけど、私の場合は褒められることが好きなので、それで気持ちを切り替えることができたんだと思います。高校の新人戦のPK(ペナルティキック)戦で、相手チームの最後の1人が蹴ったボールを自分が止めたときに、仲間が駆け寄ってきて褒めてくれたことがうれしくて。それから「ゴールキーパーとして頑張ろう」と決心できました。
◆レベルの高さを痛感したプロ1年目
プロ1年目は「日テレ・東京ヴェルディベレーザ」に入団しましたが、同じチームに岩清水梓(いわしみずあずさ)さんや阪口夢穂(さかぐちみずほ)さんなど、なでしこジャパン(日本女子代表)で活躍する選手がたくさん所属していました。当時は「こんなにすごい人たちと一緒に練習しても良いのか」とプレッシャーを感じて、練習に行くのが嫌になるくらいでした。ありがたいことに私は入団直後から試合に出させてもらえましたが、何が自分の強みで試合に選ばれたのか分からなくて、正直、前向きな気持ちをつくるのは難しかったです。「ほかに上手い選手がいるのになんで私なんだろう」って。
自信を持てるようになったのは、佐々木則夫(ささきのりお)元監督になでしこジャパンに初めて選んでいただいたときからですね。「自分が世界の舞台をめざしても良いんだ」と、そう思えたんです。
◆目標は金メダル~おめでとう!なでしこジャパン2024パリオリンピック出場!~
私がゴールキーパーに転向した平成23年に、ワールドカップで日本が優勝して、そこで特に活躍したのが澤穂希(さわほまれ)さん(大会得点王、最優秀選手)でした。これを契機に、澤さんを筆頭として日本で女子サッカーが一気に注目されるようになったんです。「すごい影響力だな」と、衝撃を受けたことを今でも覚えています。私も澤さんのように活躍して、大事な局面で「ここに山下がいれば!」と、日本のサポーターの皆さんに信頼されるような選手になりたいです。今、日本の女子サッカーへの熱が落ち着いてしまっていますが、もう一度盛り上げるためにも、パリオリンピックで自分が活躍して金メダルを獲ります。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>