お笑い芸人とごみ清掃員の“二足のわらじ”を続けるマシンガンズ・滝沢さん。足立区出身で、昨年は区のプロモーション事業である「ワケあり区、足立区。」のイベントにご協力いただきました。「今が過去最高の状態」と語るほど絶好調の滝沢さんに、お笑い芸人になったきっかけや、兼業のごみ清掃員をしているからこその気付きなどと共に、“二足のわらじ”のワケを伺いました。
◆お笑いの原点は足立区。 強烈だったビートたけし体験
「マシンガンズ」というお笑いコンビを組んで2025年で28年目を迎えます。おかげさまでお笑いもごみ清掃員の仕事も順調で、間違いなく今が過去最高の状態です。これまで大変なこともたくさんあったけど、本当に辞めなくて良かった。
僕のお笑いの原点って足立区なんです。お笑いは小さいころから好きだったんですが、決定的だったのは近所のスポーツセンターで見たツービート(ビートたけし氏とビートきよし氏による漫才コンビ)。母親がビートたけしさんの大ファンで連れて行かれたんです。でも、その日はたけしさんがなかなか到着しなかった。相方のきよしさんがひとりでずっと場をつないでて、子どもながらに「すごいな」と思いました。とはいえ、全然来ないんで「もう帰ろうよ~」って言った瞬間、たけしさんが到着して地響きのような歓声があがったんです。まさにドカーン!って爆発した状態。「お笑い芸人ってカッコいいな」って初めて思った瞬間でした。
◆追い詰められて選んだごみ清掃員 待っていたのはハードな仕事
今はマシンガンズの活動と並行してごみ清掃員をやっています。いわゆる“二足のわらじ”ってやつです。ただ、それも最初から順調ではなくて、いろいろな経緯があって今があります。
契機となったのは子どもが生まれたこと。当時のお笑い界では子どもが生まれたら辞めるのがなんとなくの流れだったんです。だけど、子どもが生まれてもお笑いを続けられることを後輩たちに見せたいと思って、芸人と両立できる仕事を探し始めました。
とはいえ、最初は仕事が見つからず大変でした。芸人を辞めた友達の紹介でようやく雇ってもらったのがごみ清掃員の仕事。最初は仕事ができる喜びがありましたが、とにかくハードだし、身体(からだ)もキツい。3年くらいやったころには辞めたいとしか思えなくなっていました。
◆“日本一のごみ清掃員”になろう 同期芸人を見て意識が変わった
そんなある日、日本一の漫才師を決める大会で優勝した同期の芸人が出ていたテレビ番組を見ました。その番組で彼らは、司会者から一番遠い席に座っていた。それを見たときに、「日本一の漫才師でもあの席なんだったら、僕らの席なんてないってことじゃないか」って茫然(ぼうぜん)としました。
そこから「なんとかしないといけない」と考え、“二足のわらじ”の片方だったごみ収集の仕事を突き詰めて“日本一のごみ清掃員”になろうと決めました。そうしたら、それまでは全て同じに見えていたごみが、それぞれ個性のあるものに見えてきたんです。
ごみに対する視点が変わると、「地域によってどんな特徴があるか」といったことがごみを通して全部分かってくる。例えば一般的な住宅街だと、安いけど長持ちしないようなものや洋服のごみが多い。逆にお金持ちが多い地域はそういったごみは少ない。それからは、自分でもお金持ちが多い地域のごみの出し方を真似(まね)するようにしました。「そもそも買い物をするときからごみを出さないことを考えているんだろうな」と考え方も改めた結果、ごみ清掃に目覚めてからの僕は、いい意味で人格が変わったと思います。おかげで以前より“明るくなった”とよく言われるようになりましたね。
◆“二足のわらじ”を履いて見えた景色
ごみ清掃員としての意識が高まってくると、不思議なことにお笑いの仕事も増えてきました。“二足のわらじ”生活をするようになってから、気が楽になったというか。お笑いでウケなくても「明日のごみ収集を頑張ろう」って切り替えられるし、ごみ収集で嫌なことがあったときも「じゃあそれを舞台で喋(しゃべ)っちまおう」ってポジティブに考えられるようになったんです。
マシンガンズは『THE SECOND(ザ セカンド)~漫才トーナメント~2023』で、決勝戦に進むことができました。でも、決勝では3本ネタをやらないといけないのに、僕らは2本しか用意していなくて、最後の1本を全部アドリブでやったんです。そうしたら、2本目までは優勝しちゃうんじゃないかってくらい良い出来だったのに、3本目が大会で最低得点だった。でも、不思議と楽しかったんです。“二足のわらじ”の生活になって、お笑い一筋だったときよりも心に余裕ができたからかもしれません。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>