■宿谷家日記
市文化財保護指導員 儘田 菜つ美
小曾木4丁目の民家の蔵から明治6(1873)年~大正2(1913)年の約40年間にわたって書かれた日記が発見されました。小曾木4丁目は古くは「古武士庭場(こむしにわば)」とよばれ、著者である宿谷八郎兵衛(しゅくやはちろうべえ)は、農業や質屋を営みながら、代々南小曾木村の村役を務めた家の当主でした。
庭場とは、村の中の数ヶ所に数軒~二十数軒程度を一つの単位として組織されていた生活共同体で、近世期には、西多摩地域に多く存在しました。日記には庭場内の出来事などが記述され、その中でも目立つのが、南小曾木学校設立と運営に関する記録です。
明治5(1872)年政府により学制が発布され、南小曾木村では高徳寺に学校を設置することになりました。八郎兵衛は学校設立の世話役をしており、設立のために各庭場の責任者と交渉や先生を探し生活の世話をした記述も見られます。八郎兵衛が著した貴重な資料は「宿谷家日記」と名付けられ、明治6年分が創立百五十周年記念事業実行委員会から刊行されました(非売品)。
このように先人の尽力で設立された学校は、いまも七小として健在で、地元の人々によって支えられながら、10月28日に創立150周年記念式典が開催されます。
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