■青物市場の歴史
市文化財保護指導員 東山啓子
旧家に残された記録によると、江戸時代の初め寛永年代(1624~1644年)頃から青梅村仲町に「青物菜蔬(さいそ)土物果物市場」がありました。明治以降、「青物市場」と名称を変え、青梅村下町(現本町)の私有地へ移転しました。明治時代後半になると勝沼・師岡地区も発展し始め、東青梅駅の周辺は、家も建ち、人や物の往来も盛んになってきました。こうした中「青物市場」の敷地も狭くなり、荷物の搬出入の不便を解消するため、大正6(1917)年に市場移転願が提出され、青梅町勝沼に移転しました。そこでは馬をつないでおく場所も作られ、川越や金子あたりから野菜や果物などを運んできて、帰りに青梅の名産であった夜具地や青梅傘を買って帰ったそうです。
戦時中、「青物市場」は閉鎖され、昭和27(1952)年に「青梅青果市場」として同じ場所に再開しました。その後、昭和48(1973)年に藤橋地区に移り、青梅・福生・川越など含め西多摩の台所として活況を呈しましたが、大型スーパーの進出や後継者不足による小売業者の減少により、惜しまれながらも令和5年5月30日に閉鎖されました。
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