■御殿女中吉野みちの手紙
市文化財保護指導員 小島みどり
江戸時代、女性が江戸城大奥や江戸市中の大名・旗本屋敷の奥向(おくむき)で働くことを、奥奉公や御殿奉公(ごてんぼうこう)と言いました。彼女達は御殿女中(ごてんじょちゅう)や奥女中(おくじょちゅう)とも呼ばれ、多くは江戸市中や近郊農村の出身者でした。旧下師岡村(現在の師岡町、東青梅地区)の名主を務めた吉野家の一人娘「みち」もその中の一人で、文政10(1827)年頃に御三卿(ごさんきょう)の一つ田安家へ奉公に上がりました。その後、江戸城本丸、一橋家で御殿女中として働き、天保10(1839)年頃、32歳の時に本草学者で幕府の医官を務めた田村元長に嫁ぎました。
「みち」の実家である吉野家には彼女が奉公先や嫁ぎ先から出した115通の手紙が残されていました。その手紙には、御殿での暮らしぶりや当時の世相の分かる物もあり、大変貴重な史料と言えます。また、両親からの支援に対し、御殿でしか手に入らない珍しいお菓子や主人からの頂き物を送ると書かれた手紙もあります。
「吉野みちの手紙」が含まれている旧多摩郡下師岡村名主吉野家文書は、昭和63(1988)年2月22日に都指定有形文化財に指定されています。(市郷土博物館所蔵)現在、市郷土博物館で開催中の企画展「青梅の御殿奉公~江戸に上がった女性たち~」では、「吉野みちの手紙」をはじめ、市内の旧家に残されていた徳川家からの拝領品などの資料も展示しています。
問合せ:郷土博物館
【電話】23-6859
<この記事についてアンケートにご協力ください。>