■大門村の年貢の記録
市文化財保護指導員 神森 正
市内大門1丁目にある大門自治会館大広間の上座正面には、175年前に領主から大門村に出された「年貢皆済(かいさい)目録」という古文書が額に入れて掲げられています。今回は、大門自治会館に立ち寄った際、拝見した「年貢皆済目録」について紹介します。
江戸時代の税は「年貢」と言って基本的には「米」(畑地に関しては金銭)で納めるため、その村の石高に課せられ、名主がその責任者でした。その後、明治時代に入って「地租改正」という一大行政改革が行われ、以後、税は「地租」といってお金で納めるようになり、現在の課税制度として継続しています。
この皆済目録は、「酉年(嘉永2(1849)年)大門村は確かに年貢を納めました」という証明書です。なお、嘉永2年は黒船来航の4年前にあたります。
内容は、「大門村は312石1斗8升4合の石高の内、「本途物成(ほんとものなり)」(主たる税)として米を8石8斗1升、「小物成(こものなり)」(付加税)として現金で1貫280匁8分(畑作物はお金)、石代として、大豆3石8斗7升2合を全(すべ)て納め終わりました。」というもので、名主・組頭・惣百姓宛に、徴税者側の代表者である梅(原)十右衛門と駒(木根)又市(※カッコ内の文字は省略されている)が発給しています。大門村の貴重な史料として、後世にぜひ残していってほしい貴重な文化遺産であると思います。
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