■東京府知事千家尊福筆「下山八幡神社」拝殿額
市文化財保護指導員 黒田 耕
市内梅郷に鎮座する下山八幡神社の拝殿正面には、千家尊福(せんげたかとみ)公の揮毫(ごう)による社号額が掲げられています。記録には明治34(1901)年9月12日に川上郡三、武井愛助の2人が当時芝公園内にあった東京府知事官邸にて「親シク鳳眉ニ接シ(直接面会し)」拝受したとあります。
尊福公は古代より続く出雲国造家に生まれ、明治初頭には出雲大社大宮司を務めました。額にも「出雲國造」の落款が見えます。
尊福公は出雲大社に鎮まる大国主大神の教えを広める巡教のため全国を旅しました。明治16(1883)年9月には市内勝沼の地にて数日間滞在しています。尊福公にとって東日本初となった巡教の旅路は、青梅周辺の132名の有志による熱烈な請願に応えてのものでした。初代吉野村村長を務めた川上郡三もこの請願者の1人でした。
下山八幡神社は徳川幕府開府時から朱印地の寄進を受ける古社ですが、玉川上水が完成してからは水源を守る神としても篤く崇敬されます。吉野街道に面した鳥居には尊福公による年代の異なる社号額が掲げられています。
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