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小さき故残った近代建築 和い話い広場のナゾ解き(1)

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栃木県さくら市

・下野中央銀行 壬生支店
・下野中央銀行 喜連川支店
1929(昭和4)年の旧下野中央銀行壬生支店、旧下野中央銀行喜連川支店(現和い話い広場)栃木県内に同日別場所に同じ建物が建てられ、1935(昭和10)年に短い期間で営業終了した。

▽きっかけは、1冊の小冊子から

日本経済史や産業遺産の研究を専門にしている阪東さんは、2022(令和4)年の6月に、今は残っていない下野中央銀行壬生支店の新築工事に関する資料を入手しました。
資料を調べているうちに、資料とそっくりな建物がさくら市喜連川地区にあることを見つけます。資料とその建物である和い話い広場の建物を調査したところ、同じ図面で建設された可能性が高いことも分かったため、その内容を「産業遺産学会誌」(2023年3月)に発表し、5月には新聞にも紹介されました。

▽ナゾだらけだった小さな近代建築
喜連川地区には、郵便局や警察署、笹屋別邸など街に近代建築が溶け込んで佇んでいます。その中で喜連川観光協会で使用するオレンジ色の和い話い広場の建物はふと目に留まる建物です。建物の建築年代が分かる資料がなかったことと、明治期のような建物装飾、もともと、1913(大正2)年に喜連川興業銀行本店があった場所から、本店建物を後に下野中央銀行喜連川東支店、喜連川支店として使用していたものと推測されていました。
しかし、今回の阪東さんの資料と論文により、建築年代や設計者がほぼ確定されることになりました。

ムムム…喜連川支店にも同じ冊子があったはずなのだが!

▽ナゾが解かれていく
阪東さんが手に入れた、下野中央銀行壬生支店の新築工事に関する資料には、竣工が昭和4年4月30日、様式は近世復興式、工事設計監督大森茂、建築工事請負角倉長吉と記されています。
竣工の1929(昭和4)年は昭和恐慌の直前で、2つの支店が所属する下野中央銀行を取り巻く国内の経済も悪化しつつある時でした。
当時、同じ銀行の支店が同時に新築落成したのが珍しかったのか、昭和4年5月4日の下野新聞には、「中銀両支店新築落成」の見出しで報じられていました。

■ナゾ解きのナビゲーター 阪東峻一さん(ばんどうしゅんいち)
1982年福岡県生まれ。新聞記者を経て、現在は早稲田大学グローバルエデュケーションセンター助手。専門は日本経済史、産業遺産。

さくら市のみなさんこんにちは阪東峻一です。
通っていた中学と高校の講堂が、大正時代の赤煉瓦の洋館だったことがきっかけで、私は近代建築に興味を持ち始めました。以来20年ほど日本各地やアジア各国を訪れて、産業遺産や近代建築を調査してきました。
2022年、下野中央銀行の冊子はネットオークションで見つけました。「どこかの建築系サイトで見たことがある建物だ」とピンときました。調べると、冊子の壬生支店ではなく喜連川支店が現存していることが判明しました。
「見かけがそっくりじゃないか」「双子建築なのか」「大森茂の未知の作品かもしれない」さまざまな疑問が湧いてきました。
その後、調査のために、宇都宮でレンタカーを借りて現地に向かいました。喜連川に着くと、冊子の写真と同じ建物が目の前に現れました。9月下旬だったので、汗だくになりながら計測をしました。
産業遺産や近代建築の中には、完成年や設計者が分からなくなっている場合があります。2022年は大森茂が生まれて130年の節目でした。今回の発見は大森茂が導いてくれたのだと思います。
産業遺産や近代建築は、古典建築の様式美を兼ね備えながら、地域の歴史や産業と密接に関わっています。
喜連川支店は完成から間もなく100年を迎えます。喜連川の顔として、市民の皆さんに愛される建物になることを願っています。

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