今年の8月、宇都宮市にライトラインが開業し、日本中で話題となっています。地域住民の新たな移動手段、中心市街地の渋滞(じゅうたい)解消など様々な経済効果が期待されています。そして、本町には東北本線が走っており、西の玄関口としてJR石橋駅があります。今回は、身近な鉄道の歴史に迫ってみたいと思います。
東京と青森を繋(つな)ぐ東北本線の建設は、国の殖産興業(しょくさんこうぎょう)・富国強兵(ふこくきょうへい)政策の基盤(きばん)としてスタートしました。国を挙げての大事業には、当然ながら様々な意見が飛び交いました。ここでは、大宮・宇都宮間が開業に至るまでの出来事にスポットを当てたいと思います。
路線の誘致(ゆうち)運動では、大宮・宇都宮間の直線ルートが有力視されていました。予定路線から外れる足利(あしかが)・安蘇(あそ)・上都賀(かみつが)・下都賀(しもつが)の4郡は、足利・宇都宮ルートを採用するよう三島通庸県令(みしまみちつねけんれい)へ請願(せいがん)しました。
この時、終着点に変わりない宇都宮の住民は目立った行動はせず、直線ルートが有力であったためか上三川近辺の住民も特に誘致運動は行いませんでした。
また、開業が近づくと近隣(きんりん)の人々は自身の損得(そんとく)の問題として捉(とら)えるようになり、当時の下野新聞の論説(らん)には、「荷馬車(にばしゃ)や人力車(じんりきしゃ)などを営(いとな)む者が職を失う」「鉄道が通過するだけで利がない」といった不安視する意見も寄せられました。
喧々諤々(けんけんがくがく)とした意見が飛び交う中、大宮・宇都宮間は、明治18(1885)年2月に起工(きこう)し、同年7月16日に驚異的(きょういてき)な速度で開業に至りました。そして、同時に石橋駅も誕生しました。
次回は、開業した東北本線の実態に迫(せま)りたいと思います。
※9月号掲載の第12話12行目に誤記がありましたので、お詫びして訂正します。
「誤:簗→正:梁」
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