明治18(1885)年7月に開通した東北本線の大宮・宇都宮間は、1日2往復の運行が開始されました。開業当初、栃木県内には小山・石橋・宇都宮の3つの駅がありました。宇都宮駅では、駅前の旅館白木屋が弁当販売を始めました。これが日本最初の駅弁といわれており、そのメニューはおにぎり2個にたくあんととてもシンプルな内容でした。
当時、午前8時40分に上野駅を発車した列車が大宮駅で接続し、宇都宮駅に到着するのは午後1時38分でした。いまでは2時間足らずの行程ですが、実に5時間もかかっていました。それでも当時の交通事情からすれば、革新(かくしんてき)なことだったのです。
石橋・宇都宮間の運賃は、上等で3円10銭(せん)、下等で92銭でした。当時の大工(だいく)の日当が約25銭であったことを考えれば、庶民(しょみん)が気軽に利用できる乗り物ではありませんでした。
開業当初、石橋駅は石橋停車場と呼ばれており、年間の乗車数は5,887人でした。その後の列車本数の増加、所要時間の短縮もあり、明治の終わり頃には年間6万人を超え、昭和の初め頃には16万人を超えました。
明治41(1908)年、生沼権一郎(おいぬまごんいちろう)(上三川銀行取締役)ら有力商人層から石橋駅に急行列車の停車を請(こ)う請願書(せいがんしょ)が出されました。明治45(1912)年の時刻表を見ると、石橋駅へ急行列車が停車していたことが分かります。
大正2(1913)年、物流の円滑化(えんかつか)や軍事的な需要(じゅよう)により小山・宇都宮間の線路複線化が行われました。これにより人員と貨物(かもつ)の輸送量増大へ繋がることとなりました。
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