前号では、埴輪(はにわ)が祭祀(さいし)目的で古墳に並べられたという話をしました。古墳とは、古墳時代に土を盛って作られたお墓のことを指しますが、そもそも古墳はなぜ作られたのでしょうか?
弥生時代以降、権力による支配体系を持つクニが誕生し、王はその強大な力を誇示(こじ)するために自身の墳墓(ふんぼ)を築(きづ)きました。そして3世紀の中頃、卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる全長約280mの箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築かれます。
この古墳は、いわゆる前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の最初期であり、以降の約400年間を古墳時代と呼び、巨大な古墳がたくさん造(つく)られました。王たちは、権力の象徴(しょうちょう)として古墳を築き、そこに埴輪を並べたのです。
古墳時代後半になると、突如として巨大な前方後円墳は姿を消します。理由は諸説(しょせつ)ありますが、大和王権による規制や「大きさ=権力」という価値観が変化していったことによると考えられます。そして、大化(たいか)の改新(かいしん)以後、薄葬令(はくそうれい)の発布(はっぷ)や仏教の火葬(かそう)文化の伝来により古墳はその姿を消しました。
今月から栃木県立博物館にて古墳の祭祀にまつわる企画展が開催されます。上三川町出土の埴輪も展示されますので、この機会にどうぞご覧ください。
※企画展「死者と生者の古墳時代〜下野における6・7世紀の葬送儀礼〜」の詳細は、栃木県立博物館へ直接お問い合わせください。
【電話】028-634-1311
会期:12月14日(土)〜2月2日(日)
問合せ:生涯学習課 文化係
【電話】0285-56-3510
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