鎌倉時代、上三川町域は宇都宮城を居城とする宇都宮氏の領土でした。その領土南端の守りの要(かなめ)として、宇都宮氏から分家した横田氏により上三川城、多功氏により多功城が築城されました。
この両城が中心となり南方への守りを固め、さらに城を守備するように周辺にいくつもの城館(じょうかん)が配置されました。これらの城館は、いわゆる「館(やかた)」と呼ばれ、上三川城・多功城の両氏に仕える重臣居城でした。
鬼怒川西岸には、南から東館(ひがしだて)・中館(なかだて)・上城(かみじょう)・汗城(ふざかしじょう)・高島館(たかしまだて)と連なります。そこから更に宇都宮市域の刑部城(おさかべじょう)・桑島館(くわじまだて)へと続きます。
田川東岸には落合館(おちあいだて)、西岸には簗館(やなだて)・大山館(おおやまだて)が並びます。その北方には石田館(いしただて)があり、JR石橋駅東には天神館(てんじんだて)があり、下野市域の児山城(こやまじょう)へと続きます。
これらの城館は、遺跡として確認されているものや伝承として伝わっているものがあります。現在では畑や宅地となっており、当時の面影はあまりみられませんが、訪ねてみると新たな発見があるかもしれません。
▽中世城館の分布図
(1)高島館
(2)汗城
(3)上城
(4)中館
(5)東館
(6)簗館
(7)大山館
(8)落合館
(9)石田館
(10)天神館
※詳しくは広報紙をご覧ください。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>