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新・下野市風土記

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栃木県下野市

■親という字
下野市教育委員会 文化財課

数か月前のこととなりますが、児童・生徒の夏休みが終わった9月初旬、出勤途中に赤信号で停車した時、傍らの歩道で小学4~5年生くらいのお子さんを背伸びするように見送っているお母さんの姿を見かけました。登校班のほかの子どもたちは、かなり前を歩いていたことから、この時期なので何かあったのかな?と勝手に想像しました。この時、お母さんの気持ちは「木の上に立っていつまでも見守っていたい」、まさに「親」という文字の成り立ちのような心情なのだろうと感じました。これは吉田松陰(よしだしょういん)が詠んだ「親思ふ心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」(私が親を思う以上に、親は私のことを思っていてくれる、それが親心なのだろう。今日、私が処刑されるという知らせの手紙をどのように思うだろう。忍びないことである)に通ずることなのでしょう(「音づれ」とは手紙のことです)。
この親や家族の気持ちがかたちになった行事が「七五三」で、平安時代頃から貴族の間で行われていたと推測されています。七五三は3歳の「髪置(かみお)き」、5歳の「袴着(はかまぎ)」、7歳の「帯解(おびと)き」の儀式が由来といわれ、子供の死亡率が高かった時代に縁起の良いとされた奇数の歳を節目として行われた行事が、庶民の間でも広まったようです。

◇さらに古い親子愛
下野市からは出土していませんが、縄文時代の親子愛を示す資料が、北海道から東北地方の遺跡から出土しています。新潟県村上市出土の「足形土製品(あしがたどせいひん)」や、青森県六ヶ所村出土の「手形付土製品(てがたつきどせいひん)」は、共に縄文時代後期(約3千年~4千年前)のものです。これらの土製品は、縄文時代早期から晩期の遺跡から出土する資料で、粘土を薄く板状に伸ばしたものに、赤ちゃんや小さな子どもの手のひらや足の裏を押し当て、そのかたちを写しとったものです。衛生状態や食糧事情により子どもが無事に育つことが難しかった縄文時代に、子どもが健やかに育つことを祈って作られたものと考えられていますが、成人のお墓から副葬品(ふくそうひん)として出土する事例もあることから、幼くして亡くなった子どもの形見として、あるいは親が先立った時に子どもの思い出の品として一緒に埋葬(まいそう)された、という説も提唱されています。これらの資料は、今も昔も変わらぬ親の愛を伝える品として国の重要文化財に指定されています。
また、縄文時代に各地で作られた土偶(どぐう)の中には、妊婦のようにお腹が膨らんだものが多くみられます。縄文時代の出産や乳児の発育は、さぞ大変なことだったのでしょう。

◇子育てをする埴輪(はにわ)
本市の甲塚古墳(かぶとづかこふん)で出土した「機織(はたお)りをする女性の埴輪」は他に類例がなく全国的に有名ですが、栃木県内にはこれ以外にも有名な埴輪があります。
昭和6(1931)年に発掘調査が行われた真岡市内の古墳は、どこも欠損していない完全な状態の鶏の形の埴輪が出土したことから「鶏塚古墳(にわとりづかこふん)」と呼ばれています。このほか、琴を弾く男性や複数の女性の人物埴輪なども出土しています。現在、これらの出土品は東京国立博物館に収蔵されており、常設展示室で観ることができます(展示替えなどで観られないこともあります)。
この女性の埴輪の中に、「子を背負う女性の埴輪」があります。残念ながら、子を背負っている女性の左手は肩の部分から手先にかけて欠損していますが、右手を背中に回し、しっかりと子どものお尻を支えています。子の顔には両目と口が一直線に表現されており、いかにも安心してぐっすりと寝ている顔のようです。手足は表現されていないので「ねんねこ袢纏(ばんてん)」のようなものに包まれているのかもしれません。1,500年前からの子育てのシンボルマークのような資料なので、栃木県の子育てのシンボルマークにうってつけではないでしょうか。

参考文献・出典:
文化庁「文化遺産オンライン」(【URL】https://bunka.nii.ac.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム((【URL】https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-22898?locale=ja)をもとに作成

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