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新・下野市風土記

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栃木県下野市

■そうだ! 花を見に行こう
下野市教育委員会 文化財課

例年1月中旬頃、伊豆などの温暖な気候の地域では寒梅開花のニュースが流れます。
3月になると本市でも、国指定史跡下野薬師寺跡の梅、国指定史跡下野国分尼寺跡では淡墨桜(うすずみざくら)に代表される桜、国指定史跡下野国分寺跡の花桃(はなもも)などが咲きそろう春となります。

大伴家持(おおとものやかもち)が編纂(へんさん)したとされる万葉集(まんようしゅう)には、梅と桜の歌が収録されています。

◇梅
五巻818:
春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ (山上憶良(やまのうえのおくら))
この歌は、宴会の席で庭を眺めつつ、「春が来れば一番に咲く庭の梅の花を一人眺めながら春の長い一日をすごすのだろうか」と詠んだものです。梅は、古代の様々な文献には「烏梅(うばい)」「汗米(うめ)」「宇米(うめ)」「有米(うめ)」「干梅(ほしうめ)」と書かれています。また、梅の木は寿命が長く、厳寒に耐え老木からも枝を伸ばし、花が咲きそろうことから、古代中国では草木の君子(徳・学・礼を兼ね揃えた優秀な人物)、四君子(しくんし)のひとつとして称えられています。
梅干しの梅肉は、防腐作用により食物の菌の増殖を抑制することが知られています。梅の名所で有名な奈良県の月ヶ瀬梅林(つきがせばいりん)では、梅の実を干して燻(いぶ)したものを「烏梅」という名前の下痢止めや熱さまし、せき止めの生薬として生産しています。この「烏梅」は染料としても使用され、特に紅花染めの際の発色剤に使われます。
歴史的な梅の名所として京都北野天満宮が知られていますが、この梅は、学問の神様である菅原道真(すがわらのみちざね)公にちなんで植えられたと考えられています。これは、晋の武帝が学問に励んでいる時に梅の花が咲いたという中国の故事から、梅が「好文木(こうぶんぼく)」と呼ばれていたことが由来となっているようです。

◇桜
古代に記された史料には「佐久良(さくら)」「作楽(さくら)」「佐具良(さくら)」と記されたものもあります。この名称は、桜の咲く様子「さきうら」という言葉がさくらに転訛(てんか)したという説、『古事記』に登場する木花昨之開耶姫(きばなさくのさくやひめ)の「開耶(さくや)」の音が起源の説などがあります。
十巻1872:
見渡せば 春日の野辺に 霞立ち さきにほへるは 桜花かも (作者不明)
訳:見渡すと春日の野辺には霞が立ちのぼっているが、咲いているのは桜の花だろうか
八巻1440:
春雨の しくしく降るに 高円(たかまど)の 山の桜は いかにかあるらむ (河辺東人(かわべのあずまひと))
訳:春雨が降るこのような日には、高円の山の桜はどんなであろうか(花が散らないか気がかりだ)
奈良県吉野山は桜の名所で、通称「吉野の千本桜」「一目千本(ひとめせんぼん)」と呼ばれ、歌舞伎では「義経千本桜」の名で吉野を舞台とした演目が上演されています。また、京都嵐山の渡月橋をバックに咲く景観や、同じ京都市左京区の「哲学の道」の桜、同左京区の南禅寺前から平安神宮大鳥居前を通る琵琶湖疎水(びわこそすい)の分流「岡崎疎水(おかざきそすい)」の桜などは、水上から桜を楽しめることで有名です。哲学の道、岡崎疎水の桜は明治時代以降に植栽されたソメイヨシノですが、万葉集に登場する桜の種類は「山桜」で、ソメイヨシノはこの時代にはありません。そのため、国の史跡整備の際には奈良・平安時代の史跡にソメイヨシノを植えることはできません。史跡の景観を当時のように保つことも史跡整備なのです。
下野薬師寺跡や下野国分尼寺跡などの市内の史跡の花も、この後見頃を迎えます。

参考文献:
・東方出版 片岡寧豊『やまと花万葉』
・京都市観光協会ホームページ「さくらだより」
【URL】https://ja.kyoto.travel/flower/sakura/

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