■遠(とお)つ飛鳥(あすか)・近(ちか)つ飛鳥・東の飛鳥
下野市教育委員会 文化財課
下野市ではこれまで旧町時代から各地域で守り継承されてきた文化財の特徴を生かし、教育・文化・観光などに関連する事業を「東の飛鳥」プロジェクトと命名し取り組んできました。
◇遠つ飛鳥・近つ飛鳥
この「東の飛鳥」命名の背景に『古事記(こじき)』、『日本書紀(にほんしょき)』の記述があります。日本最古の歴史書であるこれらの書物を「記紀(きき)」と呼びます。記紀には「飛鳥」の名称を持つ地域が2か所存在します。1か所は皆さん良くご存じの奈良県明日香(あすか)村の「大和飛鳥(やまとあすか)」、もう1か所は現在の大阪府羽曳野(はびきの)市の「飛鳥」で、こちらは「河内飛鳥(かわちあすか)」と呼ばれています。この2か所の飛鳥は『古事記』に「遠つ飛鳥」と「近つ飛鳥」の名称でも記されています。これまで、この「遠つ」「近つ」はそれぞれどちらの飛鳥を指すのか、様々な議論がなされてきました。例えば「遠つ飛鳥」が大和で「近つ飛鳥」が河内説、またその逆、あるいは双方とも大和飛鳥、双方とも河内飛鳥を指すという説などがあります。奈良県のホームページでは、「河内の近(ちかつ)飛鳥(現在の羽曳野市東部)と大和の遠(とおつ)飛鳥(現在の明日香村)の『近』『遠』は、難波宮(なにわのみや)からの距離とみられている。」としています。『古事記』履中(りちゅう)天皇の段に、水歯別命(みずはわけのみこと)(後の反正(はんぜい)天皇)が難波から大和へ入る際に大坂山口(おおさかやまぐち)に至り、そこを近飛鳥と名付け、さらに、大和で到着した地を遠飛鳥と名付けたとあることから、難波からみて近い・遠いということであると考えられます(地図参照)。また、『日本書紀』履中天皇即位前紀には、大坂より倭(やまと)(大和)に向かう際に「飛鳥山」に至ったとあります。記紀ともに、大坂道(おおさかみち)(穴虫(あなむし)越(ご)え)の河内側の入口付近を「飛鳥」と称していることから、「近つ飛鳥」とは羽曳野市飛鳥周辺のことと考えられ、大阪府柏原(かしわら)市のホームページでは「狭義では羽曳野市飛鳥周辺、広義としては安宿(あすか)郡(柏原市南東部と羽曳野市南東部)のことと考える」と解説されています。
◇東の飛鳥
この安宿郡では、一般に古墳の造営が減少する6世紀末以降に古墳造営ピークを迎え、それらの古墳からは渡来系氏族(とらいけいしぞく)と関わりが深い遺物が出土しています。また、古墳に続いて古代寺院、河内(かわち)国分寺(こくぶんじ)・尼寺(にじ)が建立され、さらに古代の難波と大和を結ぶ主要道である龍田道(たつたみち)などが通る交通の要衝の地でした。これらの地域と下野市の歴史的背景が似ていることから、「遠つ・近つ」飛鳥にちなんで、古代の東日本をさす「東国」の飛鳥、という意味で「東の飛鳥」と命名しました。
※大阪・大坂について、「大阪」は古代には「大坂」と表記したことから、文中では「大坂」と表記している箇所があります。
▽参考資料
・奈良県「県民だより奈良(平成23年11月号) 記紀に親しむ」
【URL】https://www.pref.nara.jp/koho/kenmindayori/tayori/t2011/tayori2311/nara_kiki2311.htm
・大阪府柏原市「安宿郡の古墳と寺院~4~ 近つ飛鳥と安宿郡」
【URL】http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2019033100043/
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