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市史編さんだより vol.30

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栃木県大田原市

■現代部会調査速報(8)~馬の慰霊と戦争~
大田原市を含む那須地区は古来より馬の産地として知られていました。江戸時代には、八溝山系の地域(芦野・黒羽・馬頭・烏山)で馬の生産が奨励されてきたことがわかっています。明治維新以降、日本馬は軍馬として育成する方針がとられ、西洋馬との混血化を進めることにより、馬の大型化が進められていきました。『親園村郷土誌』(1911年)には、「個人間或ハ団体間ニ馬匹改良ノ道ヲ講ジツツアルモノノ如シ」と馬の大型化に勤しむ当時の人々の姿が書かれています。
このように、農村地域で大型化された日本馬たちは、日清戦争以降、戦争に駆り出され故郷に戻ることはありませんでした。大田原市内には28基の軍馬に関する慰霊碑が存在しています(大田原地区9・黒羽地区14・湯津上地区5)。
大田原市内で最古の軍馬に関わる慰霊碑は、黒羽地区(南方)にある大正7年(1918)8月建立の「徴発軍馬供養記念馬頭観音」です。また、昭和12年(1937)には3地区で軍馬の慰霊碑が多数建立されていることが調査の結果わかりました。これは、同年に勃発した日中戦争により多くの馬が農村から徴発されたためだと考えられます。馬は農村の貴重な労働力として重要であったこと、農村での生活の一部であったことなど、様々な理由で多くの慰霊碑が建立されたと考えられます。石碑の裏面には、馬の名前・馬の持ち主が刻まれていることが多々あります。それだけ、馬との生活は農村に生きる人々にとってかけがえのないものであり、慰霊・供養の気持ちが強かったのかもしれません。(現代部会 作間亮哉)

問合せ:文化振興課
【電話】0287-47-5031

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