■岡の台瀬戸焼
今回は、岡の台瀬戸焼について紹介します。黒羽藩では、江戸時代後期の文化年間(1804~18)頃、現大田原市前田と黒羽田町の地境の岡の台(元大田原市立黒羽中学校の近傍)でやきものが作られていました。
黒羽藩11代藩主大関増業(ますなり)が編さんした『創垂可継(そうすいかけい)』に含まれている『租入会計録(そにゅうかいけいろく)』という書物にも、「岡之台瀬戸焼(おかのだいせとやき)」の名が見えております。江戸時代の下野国内の窯の中では、開窯(かいよう)年代が最も古いもので、藩主大関氏の御用窯であったと考えられています。登り窯は愛宕山(あたごさん)の山麓の傾斜地(約10度)に設けられていました。
当館には、窯跡から表面採取された陶片などをもとにして、故広瀬久之進(ひろせきゅうのしん)氏(やきもの研究家)が収集した伝世品などが収蔵されており、一部(6点)は「青山(せいざん)文庫展示室」の一角に展示されています。
写真はその一つで、「灰釉(かいゆう)すり鉢」です。寸法は、口径44cm、高さ18cmです。すり鉢は、調理器具(やきもの)の一つで、内壁に放射状の細かい縦の溝が施された鉢のことです。棒状のすりこぎで雑穀などをこすりつけるように回しながら、すりつぶすのに使います。
本資料は上記展示室で展示中です。
問合せ:黒羽芭蕉の館
【電話】0287-54-4151
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