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自治体の皆さまへ

市史編さんだより vol.50

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栃木県大田原市

■民俗部会調査速報(16)~民俗調査のお礼と感謝をこめて~
市史編さん事業に伴い令和元年度から実施してきた民俗調査では、230名を超える地域の皆さまから貴重なお話をお聞きし、令和5年度末にその成果を『大田原市史資料集第3集大田原市の民俗』にまとめて刊行しました。
『大田原市の民俗』を編集して、改めて本市の民俗の豊かさや多様性を実感しています。私たちの先祖は、山があり川があり、適度な丘陵がある自然景観と対話しながら、さまざまな民具を編み出しさまざまな農業を営んできました。また、江戸時代から続く奥州道中や那珂川水運、さらに東野鉄道などによる流通を背景に、マチバ(市街地)とムラ(農村部)との交流も育んできました。本市には、日本有数の扇状地形といわれる那須扇状地や広大な八溝山地に育まれたくらしの文化が集約されていると言っても過言ではありません。自然風土にしっかりと足を踏みしめて先祖代々つないできた日々の営みが、今日の大田原市の生活文化として残されているのです。
日本語には「ハレ」と「ケ」ということばがありますが、昨今は「ハレ」を重視しすぎているように思われます。「ハレ」を支えているのは「ケ」です。「ハレ(非日常)」は「ケ(日常)」がしっかりしていなければ成り立ちません。先祖たちは、日常の異変を「ケガレ(ケ枯れ)」と受けとめ、年中行事や祭礼という「ハレ」を大切にしてきました。時には雹(ひょう)害や水害などがもたらす危機にも、地域ネットワークを活かしながら「ハレ」と「ケ」のリズムを崩すことなく維持してきました。市内に残る多くの神社や寺院、あるいは路傍(ろぼう)にたたずむ庚申塔(こうしんとう)や十九夜塔(じゅうくやとう)にも、厳しい自然の摂理と対話してきた本市のくらしの文化が刻まれています。『大田原市の民俗』は、地域に生き地域を支えてきた皆さまの誇りの記録です。いつまでも大切にしてください。
(民俗部会 木村康夫)

問合せ:文化振興課 A別館2階
【電話】0287-47-5031

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