■元禄12年の領知朱印状(りょうちしゅいんじょう)
黒羽藩主大関家が領知(りょうち)(領有・支配)する本領の生産高、すなわち領知高は、江戸時代前期から幕末維新期まで1万8千石で、変化はありませんでした。この1万8千石の領知については、歴代の江戸幕府将軍徳川(とくがわ)氏が発給した領知朱印状によって公認され続けてきました。
大関家には、寛文(かんぶん)4年(1664)に4代将軍徳川家綱(いえつな)が発給した領知朱印状から安政2年(1855)に13代将軍徳川家定(いえさだ)が発給したものまで、明細としての領知目録と共に10組伝来し(全て原本)、それら全てが現在、黒羽芭蕉の館企画展「黒羽藩主大関家の最重要史料―徳川将軍と黒羽藩領―」において展示されています。
今回は、それらの内、元禄12年(1699)6月15日付の領知朱印状を紹介します。寸法は縦46.7cm、横65.9cmで、紙質は楮(こうぞ)を原料とした最高級紙「檀紙(だんし)」です。5代将軍徳川綱吉(つなよし)が黒羽藩6代藩主大関増恒(ますつね)宛てに発給したもので、1万8千石の領知高は変わりませんが、前々年と前年の村替えなどもあって、それ以前のものと比べ、村数に変化が見られます。一緒に展示中の領知目録と合わせて見ると、どう変化したのかご理解いただけることでしょう。
企画展は12月15日(日)まで開催しますので、会期中にご覧ください。
問合せ:黒羽芭蕉の館
【電話】0287-54-4151
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