■那須藩~家康の姪孫(てっそん)が福原の殿様になった
那須藩とは、江戸時代前期に那須郡にあった藩です。初代藩主は那須資景(すけかげ)(那須与一の末裔)で、現在の大田原市福原に陣屋(じんや)(本拠地)を構えました。しかし那須藩は、資景とその子・資重(すけしげ)の二代で断絶します。寛永19年(1642)に、資重が跡継ぎを決めないまま亡くなったことが原因です。
こうして那須藩は消滅しますが、慶安元年(1648)に松平康尚(まつだいらやすひさ)が那須郡1万石を拝領したことで再興されます。康尚は、徳川家康の姪孫(甥の子ども)です。しかし、康尚は翌慶安2年に伊勢長嶋藩へ転封(てんぽう)されたため、再び那須藩は消滅しました。
その後、那須藩は那須資弥(すけみつ)(資重の次の那須家当主で資景の養子)が1万2000石で再興しますが、資弥も烏山藩に転封となったため消滅しました。烏山藩を改易となった那須家が元禄14年(1701)、福原に陣屋を構えますが、石高は1000石(1万石以上を藩という)でしたので、以後、那須藩が復活することはありませんでした。
問合せ:那須与一伝承館
【電話】0287-20-0220
<この記事についてアンケートにご協力ください。>