■現代部会調査速報(13)~内閣総理大臣の勧告書~
平成17年(2005)10月の「平成の大合併」から来年で20年。大田原市・湯津上村・黒羽町、それぞれの住民の思いをくみ取りながら、比較的穏やかな中で実現した合併でした。しかし、遡ること約50年。昭和20年代末から30年代に進められた「昭和の大合併」は、ずいぶん様相が異なりました。合併の相手や方法をめぐり激論が何度も繰り返され、ついには国をも巻き込こむ事態に陥っていました。
「昭和の大合併」は県から合併の枠組み案が示され、それが混迷への引き金となりました。特に湯津上村は、小川町との合併で、一部は黒羽町への編入もありという分割案が示唆されたことから、その後、枠組みも変えつつ全村編入合併か、分村合併か、議論が二転三転。県の調停案も受け入れず、ついには内閣総理大臣から新市町村建設促進法に基づく勧告が発せられる事態に。これは全国で29件のうちの1つでした。大田原・黒羽周辺は同村との合併を断念し、それぞれの合併を成立させていきます。湯津上村は、勧告後も町村合併を行わなければ国の財政上の援助措置が受けられなくなることを覚悟し、平成の大合併まで、明治22年(1889)以来100年以上も枠組みを変えない「村」として存続しました。湯津上村に発せられた1枚の勧告書は、そうした町村合併の歴史を物語っています。
(現代部会 長谷川操)
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