《1871年~》
◇明治期以降の危機を乗り越えて
明治時代に入ると、新政府は神道を国教とし、仏教と分離する政策「神仏分離」を進めます。これに伴い多くの寺院や仏像の破壊が起こります。日光での神仏分離令は明治4年(1871年)に施行されましたが、社寺関係者などによる政府への強い働きかけにより、三仏堂を中心とした輪王寺の一部施設の移転など、最小限度の影響で済みました。また、この直前に起きた戊辰(ぼしん)戦争では、戦火が日光に及ばぬよう、日光山の僧侶の嘆願や土佐藩の板垣退助の指示、旧幕府軍の大鳥圭介らによる日光山からの撤退があったことを忘れてはならないでしょう。
神仏分離令や戊辰戦争による大きな破壊は免れたものの、社寺の建物や環境は荒れていきます。これは、社寺建造物の定期的な修理が幕府の消滅によって途絶えたためです。明治政府には、これを維持していく財力はまだありませんでした。
この状況を救うため、当時の町民や旧幕府の関係者らによって明治12年(1879年)に「保晃会(ほこうかい)」が創設され、修理が再開されました。その後、「日光社寺修繕事務所」が組織され、社寺の修理を担当するようになりました。これは現在の「公益財団法人日光社寺文化財保存会」の前身です。
《2024年~》
◇世界遺産を守る
日光の社寺は多くの人々の努力によって、現在までその姿を保ち続けることができました。その歴史を振り返れば、世界遺産に登録されたことはむしろ当然のことかもしれません。しかし、世界遺産は登録が終点ではありません。登録後も定期的に保全状況をユネスコ本部に報告する必要があり、状態が悪ければ登録を取り消されることもあるのです。
はじめに説明したように、世界遺産としての日光の社寺の価値には、その建造物群だけではなく、それを取りまく境内地の自然も含まれています。市はその環境の変化を計測するモニタリング作業を20年間続けており、平成20年(2008年)からは「日光ユネスコ協会」の協力を得て、大気汚染の原因物質の調査を年3回実施しています。特に、観光客が増加する夏休み期間中の調査には市内の高校生も参加し、世界遺産を身近に感じることで、世界の宝を未来に伝えていくことの大切さを知ってもらっています。
■日光ユネスコ協会
日光ユネスコ協会会長
高田 雄康(たかだたけやす)さん
◇平和の象徴を守り伝えるために
日光ユネスコ協会(以下、「協会」という)は、世界遺産登録の1999年12月に先立つ4月29日に設立して以降、25年間「守り伝えよう「日光の社寺」」をモットーとして活動しています。主な活動内容は、市の「世界遺産環境調査」への協力や、二社一寺の建物や歴史についての勉強会の開催、小中学生の絵画展「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの」の開催や、教育の機会の場を提供する世界寺子屋運動、如にょらいじ来寺で平和への祈りと願いを込めて鐘を鳴らす、平和の鐘活動など多岐にわたります。特に世界遺産環境調査は、市内3校の高校生も参加し、世界遺産を身近に感じその歴史や意義を楽しく学んでもらい、体験ができる機会となっています。
このような活動を未来永劫(えいごう)続けるために、今後は人を育てる活動に尽力したいと考えています。協会結成当時に第一線で活躍した人々の思い、そして平和の象徴である日光市を守り、すばらしい街にするために、人づくりは欠かせないと思います。今後の展望は、「日光ユネスコ学校」の創設による、協会の後継者の育成と地域活性化への貢献です。主に青少年を対象とし、日光の社寺保護管理やユネスコ憲章の精神の普及など、郷土愛に満ちた地域社会の後継者の育成に力を入れていきたいです。そして、ゆくゆくは協会や行政だけでなく、地域全体で連携し、力を合わせながら、日光の社寺を守り伝えていきたいと思います。
問合せ:文化財課 世界遺産推進係
【電話】0288-25-3200
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