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蔦重・歌麿そして栃木 その3

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栃木県栃木市

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」の放映が始まりました。蔦屋重三郎は、生まれ育った町「吉原」に書店を開き、やがて版元として大きく成長していきます。その成長を後押ししたひとつが狂歌師たちとの交流です。狂歌とは、和歌の形式を保ちながら、社会風刺や皮肉などを面白おかしく詠んだものです。鎌倉・室町時代から盛んでしたが、江戸時代中期になると江戸で大ブームとなりました。狂歌は、その場での読み捨てが原則でしたが、このブームに目をつけた版元たちが狂歌を収録した本を出版していくようになります。このような動きの中で、蔦重は狂歌界のリーダー四方赤良(よものあから)(御家人・大田南畝(おおたなんぽ))に接近し、赤良編さんの狂歌本を次々と出版していきます。ちなみに、蔦重は「蔦唐丸(つたのからまる)」、歌麿は「筆綾丸(ふでのあやまる)」という狂歌名をもち狂歌師としても活動しました。江戸でこの狂歌ブームが始まった天明年間初期、栃木町の狂歌師たちが四方赤良と密接な交流を持っていたことがわかっています。市内の旧家には、赤良が栃木の狂歌師たち5名の狂歌を添削した資料と、栃木のリーダーである田畑持麿(たばたもちまろ)(町年寄・渡辺源左衛門(わたなべげんざえもん))に宛てた書状が残されています。さらに、版元蔦重から出版された赤良編さんの狂歌本「狂歌新玉集」「狂歌才蔵集」「狂歌千里同風」などには、新牛房(あたらしごぼう)、藪中道(やぶのなかみち)ら合わせて16名の下毛(しもつけ)の狂歌師の狂歌が掲載されています。この時期に江戸で出版された狂歌本に、これほど多くの地方狂歌師が登場するのは、極めて特異なことです。当時、栃木の町人たちは狂歌を通して、赤良や蔦重といった江戸の最先端の流行を担う文化人と繋がっていたのです。

問合せ:歌麿を活かしたまちづくり協議会事務局(蔵の街課内)
【電話】21-2573

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