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自治体の皆さまへ

あの日あのころ 第416回

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栃木県真岡市


私は昭和18年、埼玉県川越市で生まれ、3人兄弟の次男として育ちました。川越は江戸時代の頃から桐たんす作りが盛んで、父や祖父も桐たんす職人でした。幼い頃は、外で遊ぶのが大好きな活発な少年で、友達とチャンバラごっこをしたり、近所のお寺で木登りをしてお寺の人によく叱られていました(笑)。
中学2年生の時、兄の友人が乗っていたバイク「Hondaスーパーカブ」の影響で、「自分もいつか、あのかっこいいバイクをつくりたい」と強く思うようになり、中学を卒業後、自動車整備の専門学校へ進学しました。在学中は座学と実技に明け暮れ、念願の本田技研工業(株)の就職試験に合格することができました。昭和35年に入社し、配属は埼玉県和光工場の組み立て課でした。その頃の会社は、二輪車生産台数日本一、株式上場、海外進出、4輪車の生産開始など、日本経済とともに成長していた時期でした。自分が担当していた組み立て、鋳造も日々活気にあふれていました。
家族で真岡へ越してきたのは、昭和62年。真岡工場の規模拡大に伴う異動でした。真岡工場では、これまでの経験を生かし、安全運転管理の責任者として、業務の事故防止に取り組みました。
退職後、シルバー大学へ2年間通い、現在、市内外でボランティア活動をしています。老人ホームでは芸能ボランティアを行い、民謡や手品、歌などを披露しています。他にも、市内の幼稚園児や小学生たち向けの昔遊び体験や読み聞かせ、段ボール工作を行うホンダ環境ワゴン活動、そして真岡市ファミリーサポートの会員として地域の子育て世代を支援しており、子どもたちには「ゆうじじいちゃん」の愛称で親しまれています。子どもたちはもちろん、活動で関わる人たちの楽しそうな様子や笑顔を見ると、とてもうれしい気持ちになり、活動の原動力にもなっています。
これからも健康の秘訣である、犬の散歩とラジオ体操、ゴルフ、麻雀(マージャン)を日々の楽しみに、地域の人たちを笑顔にする活動を続けていきたいですね。

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