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あの日あのころ 第419回

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栃木県真岡市


私は昭和23年、上三川町で生まれ、4人きょうだいの長女として育ちました。高校卒業後は地元の農協(JA)に勤め、金融係や地域内の各世帯を有線の電話でつなぐ有線放送電話の交換手などを担当し、農事放送や地域のお知らせのアナウンスも長くやりました。今でも防災行政無線が流れると、口真似をして当時を思い出すことがあります。あの頃の通勤は毎日オートバイ、月給は1万5千円くらいの時代でしたね。
24歳の頃、ご縁があり旧二宮町に嫁いできました。米・麦・玉ねぎ・かんぴょうなどを作っていた農家でしたが、結婚して間もなく義母が亡くなりました。字内の付き合いも分からず、地域の皆さんにいろいろ教えていただき、今があります。
執筆を始めたのは、再就職した会社を約20年勤め、子育ても一段落した頃です。心に悩みも少々あった時期でしたが、下野新聞の「読者登壇」のコーナーがあることを知り、投稿してみると、数日後の新聞に掲載され、とてもうれしかったことを覚えています。
いつの間にか書くことが生きがいとなり、現在も年に数回、投稿を続けているほか、自身の詩集や投稿文などをまとめた本を出版しています。1作品目の詩集は東北の被災地に、その後2・3作品目は、市内の中学校、市役所、JAなどに贈りました。そして、4作品目はコロナ禍で医師や看護師の皆さんにお世話になったことを思い出し、短歌を詠み、本づくりに励み完成させて、昨年5月に芳賀赤十字病院や医療関係者に寄贈しました。その時の礼状や記念写真は私の宝物です。こうして4冊の本を自費出版できたこと、そしてその都度、新聞に載せていただいたことに感謝です。来年は喜寿を迎えます。たった一度の人生。これからも目標に向かって一歩ずつ進み、出会いを大切にしながら元気に楽しく過ごしたいと思います。

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