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あの日あのころ 第420回

12/16

栃木県真岡市


私は昭和16年、神奈川県横須賀市で生まれ、3人姉妹の長女として育ちました。その年の12月に太平洋戦争が始まりました。戦時下であったので空襲警報のサイレンが鳴ると防空壕へ逃げ、その中で母が炒った豆を少しずつ食べて空腹をしのいだこともありました。4歳の頃に終戦となり、その時は千葉に住んでいました。当時は食料不足で、母親や近所の人たちと農家へ食料の買い出しに付いて行きました。しかし途中、一本橋を渡って川を越えなければなりません。その時の恐怖心は、今でも思い出すと背筋が冷たくなります。
その後、父の実家がある真岡で暮らすことになりました。ぎゅうぎゅう詰めの貨物列車に家族で身を寄せ合いながら移動し、母親の実家がある茂木で小学2年生まで一時過ごした後、学生時代から現在まで、人生の大半を真岡で暮らしています。
会社を退職した後は、パートを続けながらシルバー大学へ2年間通いました。人前で話すことが苦手な私でしたが、たくさんあるクラブ活動の中で初めて聞いた民話に強く惹かれ、クラブに入りました。民話は台本が無いため、本を読み自分で原稿を作ります。この作業が一番大変でした。初めての発表会では、緊張でセリフを忘れたこともありました。
シルバー大学卒業後の平成17年に、民話の会「花もめん」を立ち上げ、活動を始めて今年で19年目に入りました。4月から始まったケーブルテレビ「みんなの民話」の放送は153回を数え、平成20年からの「町おこしふるさとの昔ばなし」は、今年2月で154回を迎えました。現在も小学校や公民館、高齢者施設での活動や、FMもおかで土曜日の朝8時から放送しています。民話は聞き手と語り手で成り立つものです。話に引き込まれて感動したとか面白い話には笑って反応してくれた時は語り手冥みょうり利に尽きます。また、子どもたちが目を輝かせながら聞いている姿に私自身元気をもらえます。コロナ禍で活動が制限された時期もありましたが、昨年11月に4年ぶりに発表会を行い、大勢の方に来ていただきうれしかったです。これからも、健康のために四竹踊りやグランドゴルフ、カラオケなどをしながら、もう少し民話も続けていきたいと思っています。

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