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あの日あのころ 第422回

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栃木県真岡市

■吉川祐三子(よしかわゆみこ)さん(並木町在住・86歳)
心のままキャンバスに描く夢中になれる時間です

私は昭和13年、大阪市で生まれ、8人きょうだいの次女として育ちました。5歳の頃、太平洋戦争が始まりました。戦争が激化すると、父が軍事産業の徴兵として召集され、後を追い広島県呉市へ戦火を逃れて命さながら家族で疎開しました。8月のある朝、家の前で遊んでいた時、ドーンという轟音(ごうおん)とともに地響きが起こり、家にいた母と妹が天井まで跳ね上がるほどのものすごい衝撃がありました。それは広島市に落とされた原子爆弾の衝撃でした。とても恐ろしい体験でした。
終戦を迎え、その後大阪へ戻り、小学2年生の後半から学生時代を過ごしました。高校は京都の西本願寺系の親鸞聖人の教えのある大阪の相愛学園でした。朝礼では生徒・職員全員で誓願歌を歌うことが日課でした。
卒業後はアパレル業界のオンワード樫山へ入社。5年間勤務し、初代社長の時代の先端を行く経営力、大阪商人の在り方、次代へつなぐ若者の生き方を教えてもらいました。
退職後、母と婦人服店を経営し、店を2店舗増やし実家の土台をつくりました。その後結婚し、昭和39年、生まれて間もない長男を連れて真岡市へ引っ越しました。周りには頼れる人もいなく寂しさを感じていましたが、近所の人たちに助けられながら、夫が立ち上げた事業や会社を手伝い協力しながら夫を支え、子ども3人を育てました。当時から仲が良い真岡小の母親学級OBの仲間とは、現在も月1回の楽しい食事会や時々旅行など、約40年交流が続いており、これが長生きの秘訣であり、心の拠り所です。
そして子育てが落ち着いた頃、「静と動」の趣味を始めました。「動」は体力づくりに週3、4回ほどプールへ行き、体調に合った運動と水中歩行などをしています。「静」は市民講座の絵画教室で油絵を習い、宇都宮や東京でも学びました。最近では、光風会会友として、新国立美術館へ春と秋に大作を10年間出品しています。目標だった日展公募には令和4・5年と2年連続で入選を果たし、昨年個展を開催することができました。
勝道上人の生誕地、そして親鸞聖人・二宮尊徳ゆかりの地に嫁いだのも何かのご縁。これからも報徳精神を忘れずに感謝の心を持って、人との関わりを大切にしながら、明るく過ごしたいと思います。

※「吉川」の「吉」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。

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