JR烏山線が令和5年4月に全線開業100周年を迎えたことを記念し、市民の皆さんから寄せられた「からせん」の思い出を紹介します。
◆新島泰弘さん(鴻野山)からのエピソード
「線路は続くよ、どこまでも♪」こう歌われた鉄路も、存続の危機にある。
東野鉄道小川や水郡線常陸大子への延伸を夢見た未完の常野線、貨車の行き交った昭和50年代、駅舎の車寄せ屋根から外に伸びた乗客の列、廃線回避策の存続運動、わずかな時間差で乗り遅れた下り列車を見送りホームで食べた立ち食い蕎麦の味、宇都宮線や日光線でも走ったキハ40形車両、亡き父と家族で乗った風っこ号…二本の線路は、古き良き時代と想い出を運んでくれました。
今こそ、そしてこれからも、「乗って残そう、烏山線」
◆常磐津津栄太夫さん(小倉)からのエピソード
山あげ祭が大好きな小学生だった私は祭典期間中、毎日大金から烏山を往復していた。大金から宇都宮に行く気動車の中で三味線を弾いていたおじさんを見つけて、「おじちゃんとっても上手だね。僕も大人になったらやってみたいな」と話かけた。おじちゃんは「大きくなったらおいで、教えてあげるよ」と言った。
それから25年後、常磐津をやろうと亡き常磐津津太夫師匠の元に弟子入りをした。その時の会話は、師匠も覚えていらっしゃらなかったが、私の中では、烏山線が結んでくれた大切なご縁である。
気動車が引退したように、師匠も彼岸へ旅立ってしまったのが悔やまれるが烏山線が結んでくれたこの思い出は生涯忘れ得ぬものになるであろう。
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