JR烏山線が令和5年4月に全線開業100周年を迎えたことを記念し、市民の皆さんから寄せられた「からせん」の思い出を紹介します。
◆匿名希望さんからのエピソード
6、7年前のことです。孫のおもりで初めて烏山線に乗り大金まで行きました。たくさんの小学生が鴻野山駅で乗り込んできました。発車すると大きな男の子、たぶん6年生だと思います。立っていた1年生の女の子を座っていた上級生の男の子を立たせて座らせました。そして、ふざけていた男の子たちを注意して、何事もなかったようにお友達と話していました。私はとても感心してしまいました。名札には荒川小学校とありました。那須烏山はいいところだなと思いました。ちなみに孫は江川小学校で、やさしい子です。旗を持った地域の方々が子どもたちを電車に乗せているお姿に心暖かくなりました。
私のところでも少子化が止まりません。どうぞこれ以上子どもたちが減りませんようにと願うばかりです。
◆菊地文子さん(野上)からのエピソード
娘が小学1年生、息子が年中の頃の話。鴻野山の私の姉の所へ、烏山線で子ども達を遊びに行かせることにしました。烏山駅で見送り姉に乗ったからねと連絡し、姉が鴻野山駅に迎えに行くと、子どもたちは降りて来なかったと連絡があり、私は烏山駅にその事を告げ本当に心配でした。その頃電車の中で娘たちは弟に「大丈夫、この気動車はまた烏山駅に戻るから乗っていようね」と励ましていたそうです。鉄道公安の方々に見つけていただき、仁井田駅で子ども達と会うことができました。鴻野山駅では降りる人が居らず、ドアノブが固く開かなかったそうです。
現在娘が49歳、息子が46歳です。
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