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那須の歴史再発見!

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栃木県那須町

■那須町と近現代の人々 vol.23
11月号は、芦野出身の経済学者・神田孝一を紹介します。神田孝一は、明治9年に交代寄合旗本芦野氏家臣、神田貞の長男として生まれました。弟には、ジャーナリストで衆議院議員の神田正雄がいます。大田原尋常高等小学校(現大田原小)、栃木県立尋常中学校(現宇都宮高校)、興風学校、宮城農学校(現宮城県立農業高校)、東京正則英語学校、専修学校理財科(現専修大学経済学部)を卒業し、農学・経済学を学びました。
卒業後神田は、栃木県農事試験場技手、浅草専売支局製造課長などを歴任し、煙草に関わる仕事をする中で、労働科学や工場管理(生産管理・人事管理・賃金制度の確立)の理論的啓蒙や実践的な指導を行う第一人者となりました。
当時日本では、明治44年に工場労働者の保護を図るため「工場法」が公布されたことから、効率的な工場運営や労務管理・労働者保護に関する理論が求められていました。そこで神田は、労務管理に関する『実践工場管理』を大正元年に出版します。そのなかで「科学的管理法」という言葉を初めて用いたといわれています。その後も『労働能率研究』『工場管理論』などを執筆し、工場管理学について研究を重ねました。その間、慶應大学講師、宇都宮高等農林学校講師(現宇都宮大学農学部)、海軍経理学校教授を歴任しました。
神田は、故郷芦野の活動にも協力しました。昭和8年の御殿山・稲荷社改築や昭和16年の「明治天皇行在所記念碑」建立に多額の寄付を出しています。また明治9年の明治天皇巡幸の際に木戸孝允(きどたかよし)が芦野で書いた「山鳥相和喜池魚結伴游(やまどりあいわしてよろこびちぎょけっぱんしてあそぶ」の書を、神田は芦野聖蹟(せいせき)保存会に寄贈しています。現在は探訪館で保管され、栃木県立博物館企画展「近代皇室と栃木」に出品されています。
「ブラック企業」という言葉が定着した現代日本において、近代日本の労働者保護政策や工場管理にも影響を与えた神田の理論は、今振り返られる時期にきているのかもしれません。

問合せ:那須歴史探訪館
【電話】74-7007

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