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那須の歴史再発見!

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栃木県那須町

■那須町と近現代の人々 vol.21
9月号は、旧伊王野村出身の芸術家・関谷富貴(ふき)について紹介します。
関谷富貴(旧姓三森)は、明治36年に父三森福三・母三森トクの子として誕生しました。本名はカネといい、母の姉・タイは黒羽出身の画家・関谷雲崖の妻でした。富貴は15歳の時点で両親を亡くし、また兄の春治も大正13年に亡くなったことから、昭和2年に分家独立し、昭和6年に弟の清春を養子として自らは隠居し家督を譲っています。
富貴の転換期は、関谷陽(よう)との出会いといえます。陽は関谷雲崖の長男であり洋画家として活躍した人物で、富貴とは従姉妹にあたります。富貴の名は、陽の生家があった現在の大田原市富貴田(ほうきだ)にちなんだと考えられています。
富貴と陽は遅くとも昭和18年までには東京都世田谷区の松原で暮らしていたと考えられ、入籍したのは昭和28年でした。富貴は、陽が開催した絵画教室で教室の世話をし、生徒たちへの面倒見も大変よかったといわれています。陽が制作や展覧会のため家を空けた際、富貴は絵を描いていましたが、その姿は誰にも見せなかったようです。富貴が描いた作品は、現在約200点確認されています。その多くが昭和30年代後半から40年代前半に制作され、カンヴァスや紙、画用紙に油彩や水彩、油性パステルなどで描かれました。富貴の作品は、抽象的なものが多いですが、人物や、家、花、鳥をモチーフにしたものもあり、顔を題材にしたと考えられる連作も存在します。また富貴の作品には、スイスの画家パウル・クレーやロシアの画家ワシリー・カンディンスキーの影響をみることができ、同時代の画家から大いに刺激を受けていたことがわかります。
現在、富貴の作品は栃木県立美術館に収蔵されています。作品が展示された際には、那須町の郷土の画家の作品をぜ
ひともご覧ください。
(写真は栃木県立美術館『関谷富貴作品目録』より転載。左の富貴の作品は栃木県立美術館より提供いただいた)
※詳しくは、本紙またはPDF版28ページを参照してください。

問合せ:那須歴史探訪館
【電話】74-7007

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