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那須の歴史再発見!

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栃木県那須町

■那須町と近現代の人々 vol.25
1月号は、歌人として活躍した目黒真理子を紹介します。目黒真理子は、昭和8年に福島県山都町(現在の喜多方市)に、目黒常八・ハマの子として生れました。
昭和15年に父が常磐炭鉱に関わる軍需関係の仕事に就いたため、真理子も福島県石城郡錦町(現在のいわき市)に移り住むと、昭和21年に植田高等女学校(現在は廃校)に入学しました。このころから叔母の勧めで短歌を作り始めています。その頃の短歌に「遠山の頂白し冷えし朝年老いし祖母の天候うらなふ」があります。昭和27年に卒業すると、萬治炭礦鉱業所で働き始めますが、その後腎結核を患い、療養を行うため昭和30年に宇都宮に移住しました。
体調が落ち着くと真理子は、昭和32年4月から那須八幡温泉「一望閣」に住み込みで働き始めました(2年後に退職)。この年の12月に「傾けて愛さんものもわれになし那須野を今日も光降る雨」を含む10首で「第5回下野短歌新人賞」を真理子は受賞しました。
昭和35年からは、県内の歌人が中心となり結社にこだわらない有志が集まった短歌同人雑誌『カルパ』に、真理子は創刊から参加し、ほぼ毎号に10首近くを発表しました。この年は第10回下野短歌賞受賞、角川書店「短歌」への発表など精力的に作品を発表しました。
しかし、昭和37年末から腎臓の状態が悪化し、入退院や手術を繰り返すと、昭和40年3月に亡くなりました。
真理子の短歌などについては、没後翌年に遺稿集『青い翳(かげ)』が刊行され、昭和53年には、やなせたかしの編集で『花の如き夭折―目黒真理子遺稿歌集』がまとめられ、平成18年に『目黒真理子の世界』が出版されており、町立図書館などで読むことができます。
県立なす高原自然の家駐車場入口付近には、真理子の歌碑「帰りたしとおもえば夢にいりてくる那須野は今日も吹雪いるらし」が清水比庵の揮毫で建立されています。冬の那須を代表する一首をご覧いただければ幸いです。

問合せ:那須歴史探訪館
【電話】74-7007

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