■那須町と近現代の人々 vol.28
4月号は、那須村消防組頭・那須村長を歴任した笹沼敬司を紹介します。
敬司は、明治13年に羽田村(現大田原市)の平山助之丞の4男として生れました。助之丞は銘酒「藤の盛」で有名な平山酒造の2代目です。敬司の兄には、関東醸造で常務取締役を務めた小室一造がおり、また息子には笹沼賢彌(第3代那須町長・栃木県議会副議長などを歴任)がいます。
敬司は、両郷村(現大田原市)の笹沼家に婿養子となります。笹沼家は製材やその販売・薪炭業などを手掛け、明治36年頃に黒田原に店を構えたといいます(笹沼商店)。店舗は一度焼失しましたが、大正6年に新築され現存しています。敬司は商才を発揮し、薪炭業では大正11年に開催された平和記念東京博覧会で木炭を出品し、銅牌を受賞しました。また明治39年に那須石材合資会社を設立し芦野石の販売を手掛けています。
敬司は、経済的な地位を固めたことからその後、那須村会議員、那須村消防組頭を歴任しています。敬司は明治39年から那須村消防組第三部の一員となると、大正時代後期から村消防組頭を務め、ガソリンポンプ車の導入をするなどしました。また消防組在任中には黒田原神社に仲間とともに狛犬を奉納しています。このような長年の消防組への貢献から、昭和13年に永年勤続者として表彰されました。昭和17年8月から同21年1月まで、敬司は那須村長を務めました。在任期間中は、黒田原への馬市の移転、那須湯本大火、戦後開拓による入植者への対応にあたるなどしています。
黒田原の名士として政治・経済ともに那須村の発展に尽くした敬司は、昭和31年に亡くなりました。今年は町制70周年の節目の年です。現在、明治以降に首長や議員を務めた方々の資料の散逸・廃棄が全国的な課題となっています。これらは町の在り方がわかる貴重な資料です。那須町の歴史を未来に伝えるため、町内外の方で該当する方は、一度探訪館へご相談ください。
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