■列車爆発事故から80年
1914(大正3)年に開業し、県民の足として親しまれた沖縄県営鉄道(通称:軽便(けいびん))。南風原には5つの駅がありました。今から80年前、1944(昭19)年12月11日、突然その事故は起こりました。
戦時色が濃くなっていた当時、軽便鉄道は軍事目的で運行されるようになっていました。弾薬やガソリン入りのドラム缶、衛生材料を積み、兵士と女学生を乗せた列車が、南風原の山川駅から喜屋武駅にかけての坂を上り、神里の集落の東側、稲嶺駅の手前のワイトゥイ近くに来たところで、突然爆発がおこりました。ドラム缶のガソリンが発火したために爆発がおこったものとみられています。火は列車に積載した弾薬に引火し、爆弾の破片が周囲に飛び散り、辺り一面が火の海になりました。兵士、女学生、県営鉄道職員約220人が亡くなる大事故でした。
当時の神里の住民はその惨状を目の当たりにしていました。ある住民は、爆発音が聞こえて、空からは白い紙(衛生材料)が降っていた。消火作業に向かったがバンバンと弾が飛んできたのであきらめて壕に避難し、3日後に事故現場に行くと周辺は異臭が漂い、サトウキビ畑には肉片が散乱していた、と証言しています。この事故で神里では民家2軒が燃え、1軒が風圧で潰されました。
ところが、「軍規の弛緩」が原因とされたこの事故は日本軍によって秘密裏に事故処理が行われ、「箝口令(かんこうれい)」がしかれました。住民は事故について語ることを許されなかったのです。そして、軍にとって都合の悪い事故は隠されたまま、翌年の沖縄戦へ突き進んでいきました。
◯ミニパネル展「列車爆発事故」
日時:12月5日(木)〜12月28日(土)9時〜18時
※水曜休館
会場:南風原文化センターロビー
問合せ:南風原文化センター
【電話】889-7399
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